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若山 富三郎(わかやま とみさぶろう、1929年〈昭和4年〉9月1日 - 1992年〈平成4年〉4月2日)は、日本の俳優・歌手。別芸名は城 健三朗(じょう けんざぶろう)。映画・テレビ映画・演劇で幅広い役柄を演じ、特に殺陣は当代随一の名手と評された。 本名:奥村 勝(おくむら まさる)。東京府東京市深川区出身。父は長唄三味線の杵屋勝東治、弟は勝新太郎、息子は若山騎一郎、元妻は藤原礼子、甥は俳優の鴈龍。 生涯 東京生まれ東京育ちが三代続く東京っ子で、三味線名門の家系を引く杵屋勝東治(本名:奥村実)は、15歳の時に関東大震災に遭い、一族郎党を東京深川洲崎から引き連れて千葉県千葉市吾妻町(現・千葉市中央区)へと都落ちし、そこで長唄や三味線の師匠として十数人の一族の生計を支え、同町の由緒ある料亭「常磐楼」の娘の家徳八重子と恋に落ちて結婚した。その後、若山富三郎(本名:奥村勝)と勝新太郎(本名:奥村利夫、二歳年下)が相継いで誕生する。兄弟は母方の祖母から大変寵愛されて千葉で育ったが、若山が2歳過ぎ(勝が1歳未満)くらいの頃にこの祖母が亡くなると、杵屋勝東治は家族を連れて元の居住地、東京の深川へと戻った、兄弟はそこで幼少期を過ごした。 幼少の頃より弟の勝新太郎とともに長唄の修行を始める。旧制日大三中在学中は1年生を3回落第するほど素行に問題があった。長唄の修行よりも柔道に熱中して師範(伍段)を目指していたといい、「あたしは柔道教師になろうと思ったんです...ええ、講道館の四段で、間もなく五段になるところでした」と語っている。1949年、20歳のときに長唄の和歌山富十郎に弟子入りし、芸名を若山 富三郎とした。1954年に新東宝からスカウト、演技経験のない新人としては破格の高給と、運転手付きの車での送迎を約束させた上で入社を決める。 1955年に『忍術児雷也』でデビュー。『人形佐七捕物帖』シリーズなどの時代劇に主演。1958年には『銭形平次捕物控』に主演。新東宝が経営不振に陥ると1959年に東映へ移籍し、新東宝時代同様に『人形佐七捕物帖』シリーズで主演した他、多くの脇役もこなす。1962年に大映へ移籍、城 健三朗と改名。白黒作品の『打ち鴉』に主演した他は市川雷蔵や弟の勝新太郎の脇役に甘んじ仕事では不遇の日々であった。1964年1月6日に大映所属の女優、藤原礼子と結婚。1964年には『風雲児半次郎 唐芋侍と西郷』に主演。この年に若山騎一郎を儲けるが、1965年に藤原と離婚、その後の1年間干されて役がつかない挫折を味わった。
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