
山﨑武司
日別に見る
この人は?
山﨑 武司(やまさき たけし〈現役引退時の登録名〉、旧登録名および本名:山崎 武司〈読み同じ、#登録名も参照〉、1968年〈昭和43年〉11月7日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手・外野手・捕手・指名打者、右投右打)。愛知県東海市生まれ、同県知多市出身。 現役時代は主にNPBの中日ドラゴンズや東北楽天ゴールデンイーグルスで活躍、27年(実働25年)の現役生活で通算403本塁打を記録した強打者である。中日時代の1996年にはセントラル・リーグの本塁打王を、楽天時代の2007年にはパシフィック・リーグの本塁打王・打点王を獲得しており、落合博満、タフィ・ローズに続いてNPB史上3人目のセ・パ両リーグ本塁打王達成者である。また1999年には中日の主力打者の1人としてチームのセ・リーグ優勝(参照)に貢献した。野球選手現役引退後の2014年以降は野球解説者として活動しているほか、カーレーサーとして四輪車レースにも参戦している。 愛称は「ジャイアン」。 経歴 中学時代まで 愛知県東海市富木島町で、3人兄弟姉妹の第3子として生まれた。父親は長崎県出身かつ読売ジャイアンツ(巨人)ファンで、柔道の元国体選手であり、新日本製鉄の社員だった。また母親は身長162 cmと、女性にしては大柄だった。出生時の体重は4120 gで、兄と姉が1人ずついる。 父親が東海市の新日本製鉄名古屋製鉄所に勤めていた縁から、東海市の東山保育園を卒園し、東海市立富木島小学校に進学したが、小学校2年生の時に東海市に隣接する知多市にしの台に引っ越し、それからプロ入り後に結婚するまでは知多市で暮らした。中日球団の公式プロフィールでは出身小学校は知多市立佐布里小学校となっており、同小学校を1980年度(昭和55年度)に卒業している。 幼少期から中日ドラゴンズの本拠地・ナゴヤ球場へ野球観戦に行っていたが、周囲のほとんどが中日ファンであった一方、山﨑自身は読売ジャイアンツ(巨人)のファンだった。これは九州出身である父親の影響に加え、山﨑自身も「他人と同じなのが嫌」という性格や「(当時巨人が強かったことから)強いチームへの憧れ」が要因だった。