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高木 豊(たかぎ ゆたか、1958年〈昭和33年〉10月22日 - )は、山口県防府市出身(山口市生まれ)の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ、解説者・評論家、YouTuber、タレント。 経歴 プロ入り前 山口県山口市で生まれる。父親の仕事の都合で転居が多く、福岡県→鹿児島県→愛媛県大洲市→福岡県→北海道帯広市へと転居を繰り返すが、中学3年の2学期に母方の郷里である山口県防府市へ単身で移り住む。転勤族のため、せめて高校時代は転校なしで済ませたいという両親の配慮であった。 野球では中学3年時に北北海道地区で頭角を現し、多々良学園高校に進学。1974年には1年生ながらエース、三番打者として秋季中国大会まで進む。しかし、準々決勝(初戦)で小林誠二(広島・西武)を擁する広島工高にノーヒットノーランを喫する。結局、高校時代は甲子園出場を果たせなかった。 卒業後は中央大学へ進学し、名将・宮井勝成の指導を受ける。東都大学野球リーグでは1979年に1年上のエース・香坂英典を擁し、春季リーグで5年ぶりに優勝。同年の大学日本選手権でも決勝で早大を降して優勝し、同年から2年連続で日米大学野球の代表にも選出された。リーグ通算107試合出場、402打数115安打、打率.286、2本塁打、28打点。ベストナイン(二塁手)4回選出。115安打は大学の先輩•藤波行雄の133安打に次いでリーグ歴代2位。 プロ野球選手時代 1980年のドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団し、1年目の1981年は二軍監督の須藤豊に鍛えられ一軍に上がる。同年は5月から三塁手、二塁手として36試合に先発出場。 2年目の1982年は関根潤三監督が就任して二塁手、外野手を兼ねて67試合に先発出場。オフに大洋版伊東キャンプに参加した。 1983年は開幕戦のみ基満男が二塁手で起用されたが、2試合目以降は高木が起用され、初めて規定打席(6位、打率.314)に到達。同年から4年連続で打率3割を記録した。この1983年に一時は右打ちに取り組みスイッチヒッターとなったが、右打席の状態が思わしくなく、すぐに左打ち一本に戻している。二塁手としてダイヤモンドグラブ賞に選ばれた。 1984年はスタメンに定着。オールスターに選ばれ、7月22日第2戦(阪神甲子園球場)9回裏に東尾修から四球で出塁するも、牽制死してゲームセットとなった。このシーズンは56盗塁で盗塁王を獲得。1985年には監督の近藤貞雄の発案で加藤博一・屋鋪要と共に「スーパーカートリオ」を結成。同年より山下大輔が二塁手、高木が遊撃手にコンバートされる。この年はオールスター第1戦で決勝打を放ってMVPを獲得し、シーズンでは遊撃手部門でセントラル・リーグのベストナインに選ばれた。
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