
ヴィクトル・チェルノムイルジン(Viktor Chernomyrdin)
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ヴィクトル・ステパノヴィチ・チェルノムイルジン(ロシア語: Ви́ктор Степа́нович Черномы́рдин, ラテン文字転写: Viktor Stepanovich Chernomyrdin、1938年4月9日 - 2010年11月3日)は、ソビエト連邦及びロシアの政治家。ボリス・エリツィン政権にて初代ロシア連邦首相、1998年に設立したガスプロムの初代社長を務めた。 概要 チェルノムイルジンはロシア連邦閣僚会議議長(1992年~1993年)、ロシア連邦政府議長(1993年~1998年)、ロシア連邦大統領代行(1996年11月5日~6日)、ロシア連邦駐ウクライナ大使(2001年~2009年)。 2009年6月11日から亡くなるまでロシア連邦大統領顧問、「ロシア連邦大統領のCIS加盟国との経済協力に関する」特別代表を務め、我が家ロシアの創設者兼党首である。 チェルノムイルジンの政治経歴の中で最もロシア国民の印象に残ったのは、1995年に発生したチェチェン独立派によるブジョンノフスク病院占拠事件の際の彼の対応だと言われており、この事件後彼は、ロシアで最も人気のある政治家の一人となった。また、チェルノムイルディンはの発言は、やや口下手であるけれど、格言的な雰囲気を醸し出しているため「チェルノムイルジン語録」と呼ばれている。 経歴 1938年4月9日にソビエト連邦のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のオレンブルク州に誕生する。父親は労働者で、ヴィクトルの他に4人の兄弟がいた。1957年に学校を卒業し、オルスクの石油精製工場で機械工として働く。同年から1960年まで兵役でソ連陸軍に入隊し、予備役大佐の階級で除隊した。除隊後は再び工場に戻り、1962年までそこで働いた。その後、クイビシェフ工科大学(後にサマラ工科大学に改名)に入学し、1966年まで在籍した。同校での入学試験の成績は非常に悪く、数学は不合格で再試験を受けたが、C判定だった。彼が入学できたのは、同校の倍率が非常に低かったからである。1972年に全連邦通信制工業大学経済学部を卒業した。 ソ連時代 1961年にソビエト連邦共産党に入党。翌年から1973年まで、オルスク市党委員会の産業部長を務める。チェルノムイルジンは一貫して天然ガスなどのエネルギー関係を渡り、1973年にはオレンブルク・ガス精製工場支配人となるが、1978年に共産党中央委員会重工業部に配属された。