
ローレンス・フィンク(Larry Fink)
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ラリー・フィンク(英: Larry Fink、本名:Laurence Douglas Fink、1952年11月2日 - )は、アメリカの実業家であり、世界最大の資産運用会社であるブラックロックの共同創業者であると共に、最高責任者(CEO)を務める。アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市ヴァン・ナイズ出身。 来歴・人物 1952年、カリフォルニア州ロサンゼルス市の中心部から、北西20キロメートルにあるサンフェルナンドバレーのヴァン・ナイズ地区にて出生する。両親は、ユダヤ系で母のリラは英語の教授を務め、父のフレデリックは、軍隊を退役後、靴屋を営んでいた。ラリーは、3人兄弟の末っ子であり、兄は家業の手伝いを免除されていたが、勉強が出来る兄に代わって、父の店を手伝わなければならなかった。この幼少期の労働価値観が後のラリーに大きな影響を与えることになる。 その後、母の影響もあり、ラリーは勉学に励み、地元のカリフォルニア大学ロサンゼルス校へ進学し、政治理論の道に進んだ。しかし、政治学部に進んだこともあり、経済学の知識はこの当時、ほとんど持っておらず、大学4年生になるまでビジネスを専門的に研究する機会はなかった。 偶然にも、軽い気持ちで受けた同大学院の不動産の授業に夢中になる。幼少期に父の稼業を手伝って苦労していたラリーは、どうすればお金が儲けられるかを考えていた。しかし、UCLAのビジネススクールでMBAを取得後、不動産開発業への関心は薄れていった。 経歴 投資銀行時代 ラリーはMBAを取得後、投資銀行のファースト・ボストン(現:クレディ・スイス・グループ)へ就職する。ここで、債券部門の担当となり、アメリカの不動産担保証券市場の創設と開発を担うことになる。そして、30代半ばで同社史上最年少での役員、および経営委員会のメンバーにまで出世する。 この他にも、債券部門共同責任者のほか、金融先物・オプション部門の立上げなど不動産関連の金融商品部門を率いていた。しかし、1986年には、瞬時にして1億ドルもの巨額の損失を出す出来事があり、この時期、採用されつつあった、コンピューターでの取引が原因で、金利が上昇するというフィンクの予測に基づき、巨大なポジションを取っていたが、プログラムの不十分さからくるリスクを想定しておらずお金を失ったことを明らかにしている。