
フワーリズミー(Al-Khwarizmi)
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この人は?
アル=フワーリズミー(アラビア語: الخوارزمي、al-Khuwārizmī)ことアブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・ムーサー・アル=フワーリズミー(アラビア語: أبو عبد الله محمد ابن موسى الخوارزمي)は、9世紀前半にアッバース朝時代のバグダードで活躍したイスラム科学の学者である。アッバース朝第7代カリフ、マアムーンに仕え、特に数学と天文学の分野で偉大な足跡を残した。アルゴリズムの語源となった人物である。 中央アジアのホラズム(アラビア語でフワーリズム)の出身で、フワーリズミーの名は、「ホラズム出身の人」を意味するニスバ(通称)である。生没年は850年の没とされる。 メルヴで学者として有名となり、カリフのマアムーンに招かれてバグダードに出て彼に仕えた。知恵の館で天文学者として働き、図書館長もつとめ、のちにカリフとなったワースィクにも仕えた。数学、天文学、さらに地理学、暦学などの分野で様々な研究を行った。散逸した著作も多いが、様々な書を著し、日時計、観象儀(アストロラーベ)なども作成したとされる。 生涯 フワーリズミーはアッバース朝カリフ・マアムーンの時代(在位西暦813年-833年)に「知恵の館」と呼ばれた一種のアカデミーで活躍したことがわかっているが、それ以上の伝記的情報はほとんど何もわかっていない。名前は「アブー・ジャアファル・ムハンマド・ブン・ムーサー・フワーリズミー」といい、生年はマアムーンの父親であるカリフ・ハールーン・ラシード(在位786年-809年)の治世が始まった前後の年ではないかと推測されている。伝記的情報を提供するアラビア語による一次史料は、イブン・アビー・ヤアクーブ・ナディームとイブン・キフティーである。 「フワーリズミー」は「フワーリズムの人」を意味するニスバ、つまり地名に由来する通り名である。「フワーリズム」とはアラル海の南にあるヒヴァという町とその周辺の地方のアラビア語での呼称である(以下「ホラズム」と呼ぶ)。ホラズムは古代にはペルシア帝国の一地方であったが、680年にムスリムによる統治下に入った。一般的にニスバはいささか多義的であり、自分自身がその場所出身である場合のほか、父や祖父が出身者である場合や本人がその場所で活躍したり長く住んでいたためにそのニスバがある場合もある。イブン・ナディームとキフティーは「血統」や「家柄」を表すアラビア語 aṣl を用いて、フワーリズミーがホラズムの aṣl であると述べているため、直列的に父系を遡った先祖の誰かにホラズムから来た人物がいると推定される。