
ジム・クロウチ(Jim Croce)
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この人は?
ジェームス・ジョセフ・クロウチ(1943年1月10日 – 1973年9月20日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター。「ジムに手を出すな」「リロイ・ブラウンは悪い奴」などのヒット曲を生み出したが、1973年9月20日、人気絶頂期に飛行機事故により他界する。息子のA.J.クロウチは、シンガーソングライターとして活躍している。 経歴 生い立ち 1943年1月10日、ペンシルベニア州サウスフィラデルフィアでイタリア系アメリカ人の両親の間に生まれる。小さい頃にエンリコ・カルーソーからファッツ・ウォーラーまであらゆる種類の音楽を聴いて育ち、最初のギターを手に入れると、R&B、ロックンロール、カントリー、ブルース、フォークなど、後の彼のソングライティングに影響を与える音楽に興味を持つようになる。 1960年代 1960年、ペンシルベニア州アッパー・ダービー郡区にあるアッパー・ダービー高校を卒業。その後ビラノバ大学に入学し、大学では音楽サークル、ビラノバ・スパイアーズ(Villanova Spires)に参加する。このグループには、後にクロウチのプロデューサーとなるトミー・ウェストやマンハッタン・トランスファーのティム・ハウザーも参加していた。1963年11月29日、フィラデルフィア・コンベンション・ホールで行われたフーテナニー(観客参加型コンサート)のコンテストに審査員の一人として出席し、このコンテストで優勝したグループに在籍していた当時16歳のイングリッド・ジェイコブソンと出会う。 1965年春、ビラノバ大学を卒業したクロウチは、同年5月に陸軍州兵に入隊する。その傍ら、イングリッドとフォークデュオとして音楽活動を行い、ゴードン・ライトフット、イアン&シルビア、サイモン&ガーファンクル、ラヴィン・スプーンフルといったアーティストのカバー曲を中心にフィラデルフィアのクラブやステーキハウスで演奏していた。 1966年、ファーストアルバム『Facets』を自主制作盤で500枚リリースする。レコーディング費用はクロウチの両親から貰った750ドルで賄われ、大半をカバー曲で占めるこのアルバムは、発売1か月で完売する。 1966年8月28日にはイングリッドと結婚し、ユダヤ人であるイングリッドに倣い、クロウチもユダヤ教に改宗する。新婚旅行の1週間後に、サウスカロライナ州フォート・ジャクソンでの陸軍州兵のブートキャンプに参加する。半年後の1967年3月に任務が解かれたクロウチは、地元での音楽活動を再開する。