
Al-Altan
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アルタルン(モンゴル語: Altalun、生没年:? - ?)は、モンゴル帝国初代皇帝チンギス・カンの末娘で、オルクヌウト部族長のタイチュ・キュレゲンに嫁いだ女性。アルタルカン(Altālūqān)とも。 概要 『集史』「ジョチ・ハン紀」には「チンギス・カンの末娘、全ての(チンギス・カンの)息子達が彼女を可愛がっていた」との記載があり、チンギス・カンの最も下の娘であった。 また『集史』コンギラト部族志によると、コンギラト部内のオルクヌウト氏の人物で、チンギス・カンの生母ホエルンの甥に当たるタイチュがアルタルンを娶り、キュレゲン(駙馬/婿)を称したとされる。 しかし第二代皇帝オゴデイ・カアンが死去した後、三代皇帝としてグユク・カンが即位すると、オゴデイ没後に不審な動きを見せたファーティマ・ハトゥン、テムゲ・オッチギンらの審問・処罰が行われた。その中で、アルタルンもまたオゴデイ・カアンの毒殺に関わったとして処刑されてしまったという。なお、オゴデイ没後に帝位を狙おうとしたとされるテムゲ・オッチギンの正妻もオルクヌウト氏出身の女性であった。 しかし、グユク政権の独断に近い形でアルタルンが処刑されたことはチンギス・カン一族内に波紋を呼び、ジョチ家のバトゥはグユクがカンに相応しくない理由として、「古くからのヤサ・ヨスンを守らずに、チンギス・カン一門の諸王達に諮る事なく、チンギス・カンの末娘を殺した事」を挙げる。グユク没後の次期皇帝を決める会議でもこの件が持ち出され、トルイ家派の人間はオゴデイ派のエルジギデイに対し、「あなたたちはなぜアルタルカンを殺したのか」と問いかけたという。 なお、『集史』には「アルタルンとタチュ駙馬についていの事情は後述する」旨の記載があるにも関わらず、後に削除命令を受けたためかアルタルンについての詳細な記録は残っていない。同じく後に削除されてしまったためか、『元史』ではタイチュとその息子については『元史』巻109表4諸公主表に該当欄があるが、名前が塗りつぶされて不明となっている。 脚注 注釈 出典 参考資料 書籍 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 完篇』東京大学出版会、2021年3月。ISBN 978-4130210850。 宮紀子「モンゴル帝国初期のオルドと「知」の交流」『ユリイカ』第7巻、青土社、2026年7月1日、145-157頁、ISSN 4791704797 {{ISSN}}: ISSNの値が不正です。 (説明)。