
유상철
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柳 想鐵(ユ・サンチョル、Yoo Sang-chul、유상철、1971年10月18日 - 2021年6月7日)は、大韓民国・ソウル特別市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー、フォワード。 略歴 現役時代は主に守備的ミッドフィールダーとして活躍。フォワードやディフェンダーとして出場することも多く、ゴールキーパー以外どのポジションでもこなせるユーティリティープレイヤーだった。 建国大学校を卒業後、蔚山現代に加入。 1999年、横浜F・マリノスに加入し、5月8日のジェフ市原戦でJリーグ初ゴールを決めた。2000年のファーストステージでは、優勝を経験。2000年は22試合17ゴールと活躍したが、シーズン終了後、チームを退団。 2001年、洪明甫と監督の西野朗から誘われて柏レイソルに加入。黄善洪も含め、韓国代表選手3名が揃う陣容となったが、翌年開催のワールドカップのために力を入れたことでコンディションを落としたこと、また主将の洪よりも大学の先輩である黄を慕ったため洪がやや孤立したこと が成績下降の一因となった。ワールドカップ後のヨーロッパ進出を図って、2002年シーズン途中に柏を退団したが失敗に終わり、古巣の蔚山現代に復帰した。 2003年には横浜F・マリノスで監督を務めていた岡田武史に誘われ、横浜Fマリノスへ3年ぶりに復帰。当初は中盤の選手として構想されていたが、右サイドバックとして加入が決定していたブラジル代表カフーがチーム合流直前に契約を解除、その穴埋めとして右サイドバックで起用されると、そのユーティリティ能力を発揮し活躍。ファーストステージとセカンドステージを制覇しチームを完全優勝に貢献した。横浜F・マリノスには、2004年末まで在籍し、Jリーグでは通算113試合44ゴールの成績を残した。その後は蔚山現代に再び復帰した。 FIFAワールドカップに2度出場(1998、2002)。2002年大会では洪と共に16人のオールスターチームに選ばれた。2003年の東アジア選手権では大会MVPに輝いた。 2006年3月4日に、膝の故障を理由に現役引退を表明した。 2009年から春川機械工業高等学校サッカー部監督を務め、2011年7月よりKリーグ・大田シチズンの監督に就任したが、2012年シーズン終了で退任。その後、2014年より蔚山大学校サッカー部監督を務めた。 2017年12月4日、Kリーグ・全南ドラゴンズの監督に就任し、2018年まで指揮。