
김영삼
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金 泳三(キム・ヨンサム、日本語読み:きん えいさん、韓国語: 김영삼、1927年12月20日または1929年1月14日〈陰暦1928年12月4日〉 - 2015年11月22日)は、韓国の政治家。第14代大統領(在任1993年 - 1998年)。本貫は金寧金氏。号は「巨山」(コサン、거산、それぞれ巨済島と釜山から来ている)。略称はYS。実家は網元。日本統治時代における創氏改名時の日本名(1945年まで)は金村康右(かねむら こうすけ)。早稲田大学特命教授。称号は名誉法学博士(早稲田大学)。 「両金」のもう一方の金大中と共に韓国の民主化の歴史で大きな役割を果たした。独裁政治時代は民主化を求める野党で活躍したが、金大中と決別後に保守政党と合意した後、軍部勢力を粛清したため、長い軍事政権の後の初の文民政権である金泳三政権は「文民政権」と呼ばれることになった。 保守政党内の穏健改革派の始まりとしても取り上げられ、大物政治家として評価される。ただし後述のIMF経済危機への対応の失敗や家族の不正問題により、大統領任期中に国民の支持を失ってしまった不運の政治家でもある。死後には再評価の動きがある。 概説 大統領になるまで 慶尚南道の巨済島(現在の巨済市)の出身。ソウル大学哲学科を卒業、1952年に張沢相国務総理(当時)の秘書官に就いたのを経て、1954年第3代国会議員選挙で自由党候補として巨済にて立候補して、26歳で当時の最年少国会議員として当選し、政界入りする。 議員となって以後、長らくは野党の立場で活動し朴正煕政権~全斗煥政権期の軍事政権時代には、1969年に暴漢に硝酸を浴びせられたり(金泳三硝酸テロ事件。中央情報部による犯行と推定されている)、『ニューヨーク・タイムズ』記者とのインタビュー記事等をめぐり国会議員除名(金泳三総裁議員職除名波動)となったり(1979年)、自宅軟禁を受けたりといった弾圧を受けたりもした。 1970年代から1980年代にかけて、金大中と伴に代表的な野党政治家・民主化運動家の一人であった。1985年3月6日、全斗煥大統領により政治活動を解禁される。 1987年に全斗煥の退任に伴って行われた第13代大統領選挙にて金泳三と金大中が共に盧泰愚に敗北した後、1990年に、盧泰愚、金鍾泌と手を握り、三党合同に参加することとなる(盧泰愚の民主正義党、金鍾泌の新民主共和党、金泳三の統一民主党が合同し、巨大与党である民主自由党が誕生した)。この後、民主自由党の大統領候補となり1992年の第14代大統領選挙にて大統領に当選した。