
김두한
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金 斗漢(きん とかん、キム・ドゥハン、1918年6月23日〈陰暦5月15日〉 - 1972年11月21日)は、大韓民国の政治家で、第3代および第6代国会議員。独立運動家の金佐鎮の息子。本貫は安東金氏。号は「義松」(ウィソン)。 人物・生涯 陰暦1918年5月15日(1918年6月23日)、京城府鐘路にて金佐鎮の息子として生まれたとされる。1924年に7歳で祖母と一緒に満州で1回だけ金佐鎮と対面した。朝鮮総督府から不逞鮮人として監視される一方、家庭内の事情も良くなく、梶童(キョドン)国民学校(現 キョドン小学校)を2年生で中退。開城に移ったが、10歳の時、1人で京城にきた際に乞食たちに捕まり路上生活者となり、袁氏を名乗る老人に「日帝の勉強はする必要がない。すぐに独立するのでその時勉強しなさい」と言われ、学校には通わずに水標橋の下や路頭で17歳まで過ごした。 18歳にして朝鮮全土に約3万人の構成員を抱える暴力団、鐘路派(チョンノ・パ)の頭目に就任。日本統治時代の末期にはソウルの繁華街、鐘路を中心に朝鮮のチュモッケの王(げんこつ界の王、拳の皇帝、最強の腕っぷし)となった。 不良愚連隊や暴力団のごとく一般市民に対し悪行を働くのではなく、金佐鎮の息子であることを誇りに、強い抗日の姿勢から、日本軍の武器庫を爆破。日本系暴力団(商業権を狙って縄張りを拡大していた)と抗争を繰り広げ、朝鮮人商人を保護する侠客として活動したとされる。 後の自由党政権下で政治暴力団の頭目として急成長した李丁載(イ・ジョンジェ)は、金斗漢が組織する鐘路派の下位団体の準構成員出身である。 戦中に満州や朝鮮半島北部で優勢を誇った朝鮮半島北部の愚連隊の頭目であるシラソニこと李聖淳(イ・ソンスン)とは私的に義兄弟として呼び合う仲だった。 1944年、全州李氏の李載熙と結婚。1945年9月5日、のちに国会議員となるキム・ウルドンが生まれる。 解放後 日本の降伏の後、すぐ鐘路派を率いて朝鮮建国準備委員会に参加。治安維持にあたった。建国準備委員会が解消した後は、水標橋で共に過ごした竹馬の友であり、社会主義活動家の朴憲永の秘書となっていた丁鎮龍の勧めもあり朝鮮共産党に入党。朝鮮青年前衛隊隊長に就任。この際、人民軍南朝鮮司令官に任命する提案もあったという。 間もなく父の死が共産主義者による暗殺だった事実を知り、共産主義から民族主義に転向。民族主義に転向したことで、米軍政庁の警務部長趙炳玉や、のちの新民党総裁の柳珍山を知り、民族主義陣営指導者達たちとの交流を深め、反共産主義闘争の白色テロの代行者となり、デモ隊鎮圧などで多数を殺害した。