
金九(Kim Ku)
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金 九(日本語読み: きん きゅう、朝鮮語読み: キム・グ、김구、1876年8月29日(陰暦7月11日) - 1949年6月26日)は、朝鮮独立運動家。テロリスト。韓国独立党や韓人愛国団を率い大韓民国臨時政府主席を務め、1962年、建国勲章大韓民国勲章を追叙された。 本名は金昌洙(김창수、キム・チャンス)、改名して金亀のちに金九(김구、キム・グ)、幼名は昌巖(창암、チャンアム)、字は蓮上(연상、ヨンサン)、号は蓮下(연하、ヨンハまたはヨナ)のちに白凡(백범、ペクポム)、法名は円宗(원종、ウォンジョン)、還俗して斗来(두래、トゥレ)。本貫は、安東金氏。洗礼名ペトロを持つカトリック教徒でもある。 1919年以来、上海で臨時政府に参加し、大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、大統領代理、国務領(大統領)などを務めた。1924年、満州の朴喜光と通じ親日派暗殺、主要公館破壊などを指揮し、韓人愛国団を組織して李奉昌の桜田門事件、尹奉吉の上海天長節爆弾事件を指示した。1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であったが、南朝鮮単独選挙実施を巡って李承晩と対立し、1949年6月26日に暗殺された。 次男の金信は韓国空軍中将として参謀総長を務めた。 生涯 1876年 - 黄海道海州に生まれる。先祖は朝鮮時代早期の左議政金士衡である。 1896年 - 鴟河浦事件。食事を注文した時に女給が自分より先に食膳を与えるのを見て憤慨したのが真相ともいうが、閔妃殺害にはなんら関係がない日本人の土田譲亮を、後の本人の言によれば、土田が朝鮮人のふりをしていたことから閔妃殺害の仲間か同類の輩と考え、日帝・日本人への懲罰として殺害したという。仁川領事館の報告書では、土田は「長崎県出身の庶民」であり、「出張中の長崎商人の従業員」と記されていたとされる。しかし、金九は自叙伝の中で、土田は刀を隠しており、日本陸軍中尉であることを示す身分証明書を持っていたと主張している。殺害後金品を奪って逃走、捕縛され、強盗殺人犯として死刑判決を受けた。後に特赦により減刑され、さらにのち、脱獄する。 1899年 - 黄海道各地に学校設立運動などを行う。 1919年 3月 - 三・一独立運動が失敗に終わる。 4月 - 上海に亡命し大韓民国臨時政府の設立に参加、第3、4期臨時政府で国務領(内務大臣)を務める。なお、第1、2期臨時政府大統領は李承晩だった。 1921年 - ソ連の政治資金が臨時政府に上納されていないという理由で、青年たちに韓国人の共産主義者たちの暗殺を指示する。 1922年10月 - 上海で呂運亨、李裕弼、孫貞道などと一緒に韓国労労兵会を組織する。 1922年11月 - 金九が刺客として放った呉冕稙と盧鍾均により韓国人の共産主義者・金立が上海で狙撃殺害される。