
蒙古帝国
このスターに新着があれば通知でお届け
日別に見る
この人は?
モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家(ウルス)である。中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス (ᠶᠡᠭᠡᠮᠣᠩᠭᠣᠯᠣᠯᠣᠰ Yeke Mongγol Ulus)すなわち「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」と称した。 最大版図 13世紀後半になると、中央政権の大元ウルスと地方の3つのハン国(ジョチ・ウルス、チャガタイ・ウルス、フレグ・ウルス)による緩やかな連合体となる。 概要 モンゴル帝国の創始者チンギス・カンとその兄弟・子息たち、『四駿四狗』に代表される部将(ノヤン)たち、及びそれらの後継者たちはモンゴル高原から領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパ・アナトリア(現在のトルコ)・シリア、南はアフガニスタン・チベット・ミャンマー、東は中国・朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた。最盛期の領土面積は約3300万平方キロメートルで、地球上の陸地の約17%を統治し、当時の人口は1億人を超えていた。その領土の範囲は人類史上において大英帝国に次ぐ2番目の巨大さだった。 モンゴル帝国は、モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝(カアン、ハーン)を中心に、「アルタン・ウルク(「黄金の一族」の意味)」と呼ばれるチンギス・カンの子孫の王族たちと彼らに従属する部将(ノヤン)たちによって、主に戦功等に応じて各地に分与された領民と領国を支配する国(ウルス)が集まって形成された連合国家の構造をなした。モンゴル帝国は、「千戸(ミンガン)制度」と呼ばれるテュルク・モンゴル系の騎馬軍団を基礎とした。血縁的な部族制を再編成したもので、十人の兵士を出す集団を十戸とし、十戸を10集めて百戸、百戸を10集めて千戸とし、それぞれ十戸長、百戸長、千戸長を置いた。千戸集団は百個近くあったともいわれ、皇帝の命によって分与されたそれら数十もの千戸軍団を各モンゴル王族や部将たちが管轄し、軍団や征服地域の租税や民政の管理を皇帝直属の財務官僚(ビチクチ)たちが担った。彼らの行動規範は「チンギス・カンの遺訓(ジャサク)」によって律せられ、モンゴル皇帝はこの「チンギス・カンの遺訓」に基づき、これらの諸ウルスの存廃と租税管理を最終的に統御する存在でもあった。