神谷明
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神谷 明(かみや あきら、1946年〈昭和21年〉9月18日 - )は、日本の声優、俳優、歌手、ナレーター、元日本工学院専門学校声優・俳優科講師。神奈川県横浜市出身。 妻は元声優の戸部光代、長女(1981年9月11日生)はシナリオライターの華宮ゆう士、次女はミュージカル女優の神谷たえ。有限会社冴羽商事代表取締役。 来歴 生い立ち 誕生時は神奈川県横浜市港北区の妙蓮寺で産声をあげたという。幼少期、父親が営んでいた家具製造工場が倒産したことで両親が離婚。母親に引き取られ、母と弟一人の家庭に育つ。その頃、アニメより漫画本に熱中していたという。必死で働く母を助ける日々だったため学校も転々とする中(親の離婚後から鶴見区で暮らした後、小学5年生の時に蒲田に転居)、横浜市立青木小学校、東台小学校から転入した東京都大田区の相生小学校の大先輩に俳優の小沢昭一が居たことが神谷を演劇の道へと向かわせることとなった。 その後、御園中学校を経て「高校を卒業したら自分が働いていて家族を支えよう」との思いから東京都立芝商業高等学校へ入学。高校1年生の時に、珠算部に所属していたが、友人に「メンバーが足りないから」と誘われ演劇部に入部した際、「神谷って良い声してるよな」と言われたことがきっかけで俳優を目指す。その時は演じることが好きで、その思いだけで「食える」と思ってたという。なお、この時同じ学校の同級生で、同じく演劇部に所属していた部員に、後に神谷が声優業界に誘う事になる声優の佐藤正治がいた。 キャリア 活動初期 高校卒業後、一旦就職していたが、演劇が忘れられず、飲食店勤務や歌手の付き人を経て、横浜の劇団「かに座」へ入団。アマチュア劇団だったため平日は会社に勤め土日に活動するが、改めてプロになりたいと考えたことで、新劇を扱っていた雑誌で劇団テアトル・エコーを発見。演劇雑誌で見ていた研究生募集広告の「良き演劇人を育てたい」というようなニュアンスに温かさを感じていたこともあり、テアトル・エコーの入団を決める。願書を出して試験を受けて合格して、1970年にテアトル・エコーへ入団。このことについては、「将来の展望もなしに飛び込んでしまったが、そういう意味では兄弟や親にはずいぶん精神的な負担をかけたんじゃないかな」と語る。テアトル・エコーは声優としても活動する人物が多く、その流れで神谷も声優としての活動を開始した。後に「ほかの劇団に入っていたら、30歳前に辞めていた」、「声優にもなっていなかった」と語っている。事務所はその後、青二プロダクション、ぷろだくしょんバオバブ、東京俳優生活協同組合、アップス、青二プロダクション、コアミックスを経てフリーとなり、現在は有限会社冴羽商事代表取締役。