
毛沢東(Mao Zedong)
毛澤東
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毛 沢東(もう たくとう、マオ・ツォートン、簡体字: 毛泽东、英語: Mao Zedong/Mao Tse-Tung、1893年12月26日〈光緒19年11月19日〉 - 1976年9月9日)は、中国の政治家、思想家。 1921年7月に創立された中国共産党の創立党員の1人で、長征と日中戦争を経て党内の指導権を獲得した、1945年より中国共産党中央委員会主席を務めた。日中戦争後の国共内戦では蔣介石率いる中華民国政府を台湾に追放し、1949年10月1日に中華人民共和国の建国を宣言した。1949年10月から1976年9月に死去するまで同国の最高指導者であった。 生涯 生い立ち 1893年12月26日(光緒19年11月19日)、清の湖南省湘潭県韶山沖(毛沢東故居)にて、父の毛貽昌と母の文素勤の間に5人兄弟の三男として誕生する。ただし長男と次男は夭逝したため、事実上は長男扱いであった。毛沢東は才覚により地主に成り上がった厳格な父によって、子供の頃から労働に従事し、勉学にも励んだ。1907年に4歳年上の羅一秀と結婚するが、親に押し付けられた結婚であり、結局羅とは一度も同居することなく、1910年に羅は赤痢により20歳で死去した。 従兄から贈られた中国の近代化を説く本に刺激を受けた毛は、1910年秋に故郷の韶山を離れて湘郷県立東山高等小学校に入学。この学校では、康有為や梁啓超らの思想を学び、それらに影響を受けた。1911年春に毛は長沙に赴き、湘郷駐省中学への入学を希望した。同年10月に辛亥革命が勃発すると、清中央政府に反旗を翻した湖南駐屯の第25混成協第50標第1営左隊に入隊する。半年後、清朝が事実上崩壊したことにより、毛は軍を除隊して学校へ戻った。1912年、長沙の湖南全省公立高等中学校(現在の長沙市第一中学)に入学し、中学への入学の際に明治維新に関心を持っていた毛は、父に幕末の僧である月性の詩の「将東遊題壁」を贈り、意気込みを示した。 1913年春に湖南省立第四師範学校に入学し、さらに翌年秋には湖南省立第一師範学校に編入した。いくつかの学校を転々とする間、毛はアダム・スミスやモンテスキューなどの社会科学系の書物に触れた。 1917年、孫文の同志だったアジア主義者の宮崎滔天が毛の故郷である湖南省を訪れ、講演会を開いた。毛はこの講演会に出席し、日本が欧米白人のアジア支配を打破したことを聞いて喜んだ。後に毛はアメリカの記者であるエドガー・スノーに日露戦争当時の日本の歌詞を紹介し、次のように告白している。 同年、陳独秀が主宰する雑誌『新青年』に毛の最初の論文となる「体育の研究」を発表。師範学校在学中、新文化運動に影響を受けた毛は、1918年4月、学友たちと共に新民学会を創立して政治活動に加わるようになった。
経歴
- 1893Birth