
森保一
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森保 一(もりやす はじめ、1968年8月23日 - )は、静岡県掛川市生まれ、長崎県長崎市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。日本代表監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 経歴 若年期 静岡県掛川市で生まれたが、父親が造船関係者だったため、幼少期から名古屋市、横須賀市、佐賀県唐津市と各地を転居し、唐津市立鏡山小学校に入学するもすぐに転居。小学1年生から長崎市に定住する。自身では「長崎生まれ広島育ち」を自称する。 サッカーを本格的に始めたのは小学6年生の時で、それまでは少年野球をしており、プロ野球選手になることが夢だった。小学6年のサッカークラブチーム「土井首SSS(土井首サッカースポーツ少年団)」時代に第4回全日本少年サッカー大会にGKとして出場している。長崎市立深堀中学校では当初サッカー部が無かったため、近隣でサッカー部のある長崎市立土井首中学校の練習に参加していたが、土井首中の生徒たちからスパイクを隠されるなどのいじめを受けたため、父親や他の保護者の協力を得て深堀中にサッカー部を新設しプレーを続けた。 高校進学に際してサッカー強豪校である長崎県立国見高等学校への進学を考えていたが、森保の不真面目な受験姿勢を見た父親に反対されたため、長崎日本大学高等学校へ進学した。これについては、他にも「選手層の厚い国見に進学しても、レギュラーでやっていける自信がなかったため遠慮した」という説や、長崎日大高では特待生扱いで学費が免除されるため選んだという説もある。 高校時代は攻撃的なMFとして山梨国体選抜に選ばれるが、当時長崎県のサッカーは国見と長崎県立島原商業高等学校が全盛期だったことから、インターハイや選手権などの全国大会には出場できなかった。高校時代まではまったくの無名選手だった。 マツダ/サンフレッチェ 高校の下田規貴監督と日本サッカーリーグ(JSL)のマツダ(現サンフレッチェ広島)の今西和男総監督が知り合いで、下田から森保を推薦する年賀状を受け取った今西が、ハンス・オフトコーチを伴い長崎に視察に訪れ、オフトは全く興味を示さなかったとされるが、今西が森保の視野の広さと3手先まで読んでパスが出せること、危機察知能力を評価し、採用を決め、1987年同クラブ入団。同期は河村孝らがいたが森保は入団当初はその中で最下位の評価だった。当時マツダ本社は高卒採用枠5人までであったため森保は本社に入社することが出来ず、子会社のマツダ運輸(現マツダロジスティクス)に勤務した。当初はサテライトチームであるマツダSC東洋でプレーしていたが、この年からマツダ監督に就任したハンス・オフトに見出された。その後チームは2部に降格しオフトは退団したが、ビル・フォルケスコーチに育てられ、3年目の1989年にJSL2部デビュー