
朱元璋
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朱 元璋(しゅ げんしょう、天暦元年9月18日〈1328年10月29日〉 - 洪武31年閏5月10日〈1398年6月24日〉)は、明の初代皇帝(在位:洪武元年1月4日〈1368年1月23日〉 - 洪武31年閏5月10日〈1398年6月24日〉)。廟号は太祖(たいそ)。諡号は高皇帝(こうこうてい)。その治世の年号「洪武」から洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。 生涯 皇帝即位まで 少年期 元末の天暦元年9月18日(1328年10月29日)、淮水ほとりの濠州鍾離県(現在の安徽省鳳陽県)にて生まれる。父は朱五四(後に世珍と改名)、母は陳氏。兄が3人、姉が2人いる6人兄弟の末っ子だった。五四の兄五一の家に4人の男子がおり、朱家で8人目の男子ということから朱重八と名付けられた(以後、煩雑となるので元璋で通す)。母親は夢の中で仙人から赤い玉を授かって重八を妊娠し、彼が生まれると家全体が赤く光り輝き、近所の人々が火事と勘違いして家に集まってきたが、火事が起きてないので不思議な顔をして帰っていったという。 朱元璋自らの記述によれば、その本貫(祖籍)は金陵句容通徳郷朱家巷(現在の江蘇省句容市)とされる。朱氏の系譜は仲八公までしか遡ることができず、それ以前の世系については考証不可能である。しかし元璋の祖父初一は徭役の重さに耐えかねて盱眙県へ遷る。ここである程度の暮らしを手に入れることに成功し、息子の五一と五四も一家を構えることができた。しかし初一死後は再び困窮するようになり、濠州霊璧次いで虹県 に遷る。この間に3人の兄が誕生し、鍾離県に遷ったところで重八が生まれた。このように朱家は流民と言ったほうが良いような貧農だった。 両親は幼い元璋を村の塾に通わせていたが、学費が続かず、地主のもとに牧童として奉公に出されることになった。幼い頃の元璋はガキ大将であり、牧童仲間の間で信望が高かった。ある時、腹を空かした元璋たちは我慢ができなくって地主の牛を1頭殺して皆で食べてしまった。満腹になった後、地主からのお仕置きを恐れて青くなった彼らだったが、元璋は自分が責任を取ると言って一人で地主のもとに赴き、地主から滅多打ちにされた。 貧しいながらも何とか生きていた朱一家であったが、至正4年(1344年)、元璋17歳の時に淮河一帯が酷い干ばつに襲われる。農作物は枯れてしまい、そこに蝗が来襲して緑の物を食い尽くして飢饉となった。さらに追い打ちをかけるように疫病が流行。父母と長兄はこの時に死亡した。3人の遺体を埋葬した後、次兄は郷里に残り、三兄は他家に養子に出て、元璋は隣人のつてにより皇覚寺(現隆興寺 )という寺で小僧となることになった(2人の姉はすでに他家に嫁いでいた)。その後、兄弟が再び会うことはなく、これが今生の別れとなった。