木の実ナナ
このスターに新着があれば通知でお届け
日別に見る
この人は?
木の実 ナナ(きのみ ナナ、本名:池田 鞠子(いけだ まりこ)、1946年〈昭和21年〉7月11日 - )は、日本の女優、歌手である。東京都・向島区寺島町(現在の墨田区東向島)出身。所属事務所はダンカンミュージック。身長160cm。B85cm、W59cm、H86cm。城西高等学校中退。 来歴 父はトランペット奏者、母は踊り子。父が19歳、母が20歳の時に生まれた。体が弱く、3歳まで歩けなかった。その後、身体を鍛えるために5歳からバレエを始めると直ぐにのめり込み、ダンサーに憧れを持つ。花柳界の中で育ったため、芸者が夏の時期に浴衣に手桶を持って銭湯に行く姿を見て、「カッコイイナー」と思い、大きくなったら絶対に芸者になろうと決心していた。 中学3年生16歳の時に渡辺プロダクション主催の新人オーディションがジャズ喫茶「新宿ACB」で開催され、友人の付き添いで参加。受験する友人は緊張の余り固まってしまい、困った司会者より「じゃあ! 君が代わりに唄って!」と指名され、堂々とした唄いっぷりもあって優勝した。その後、猛反対する父親を「絶対に半端なことはやりません」などと説き伏せ、芸能界入りした。このため30歳過ぎても親に仕事の話をすることはなかったという。この頃にザ・ドリフターズの専属歌手として唄っていたこともあるという。 デビュー曲は「東京キカンボ娘」(1962年8月10日、菊村紀彦作詞・作曲)。「木の実ナナ」の芸名は、この時に菊村によってつけられた。漢字、ひらがな、カタカナの三つがそろった名前は、菊村が「歌だけでなく、踊りも芝居もできる人になってほしい」という思いを込めたものだという。「着の身着のまま」が芸名の由来という説は、自身が否定している。 1962年、音楽番組『ホイホイ・ミュージック・スクール』(日本テレビ)でテレビデビュー。当時、この番組のイメージにより「ホイホイ娘」と呼ばれていた。当時は歌番組も少なく、歌って踊れる木の実は貴重な存在だった。「(1978年のインタビューで)芸能界も変ったなと思いますね。今は楽になったわね。私の新人のころときたら、楽屋の真ん中に座るな、スタジオの中で男と話をするなとか、いつも怒られてばかりよ。昔を思い出すと辛いけど、プラスにはなっています」などと話している。人気アイドルがテレビ局を飛び回り、寝る時間もないというエピソードは、70年代以降の話だという。1967年には「ミニ・ミニ・ロック」という曲が小ヒットし人気を集めたものの番組終了と同時に低迷、前座歌手をする日々が続く。ヒット曲になかなか恵まれず、心機一転として1970年に本場のショー・ビジネスを学ぼうと決意し渡米する。