
弥助(Yasuke)
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弥助(やすけ、生没年不詳)は、安土桃山時代の日本に渡来した黒人男性。宣教師から織田信長へと進呈され、信長が死去するまでの約15か月間、彼に仕えた。名は弥介(彌介)とも書かれる。 生涯 生い立ち 弥助はモザンビークの出身で、イエズス会のイタリア人巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日する際にインドから連れてきたという。 ヴァリニャーノは1574年3月にポルトガルを出発し、7月にモザンビークへ、その後9月にインドのゴアに到着した。1577年9月までインドで巡察を行った後、マラッカやマカオに滞在し、1579年7月に日本へと出発する。 戦国時代には、ポルトガルやスペインなどヨーロッパの船が日本を訪れるようになっており、アフリカ出身の人々も、従者または奴隷として連れてこられていた。1546年に日本に来航したポルトガル人船長ジョルジ・アルヴァレスは、船員もしくは下僕として黒人を連れていたとみられ、1548年11月付のフランシスコ・ザビエル宛ての報告で、日本人は黒人を見ることを喜び、100キロメートル近く離れた場所からも見にくると記している。この後、日本側の記録に黒人が登場するのは、1581年(天正9年)の『信長公記』における弥助の記述が最初となる。 来日後の弥助 1579年7月25日(天正7年7月2日)に島原半島南端の口ノ津に到着したヴァリニャーノは、その後、豊後国に移り、1581年3月8日(天正9年2月4日)、畿内に向け出発した。豊後を出たヴァリニャーノに同行したのは、ルイス・フロイスやロレンソ・メシア(メシヤ)ら4人の司祭と3人の修道士、そして黒人で、これが弥助とされる。 ヴァリニャーノたちは1581年3月17日(天正9年2月13日)に堺に到着し、その2日後に堺を出ようとしたが、その際、非常に背の高いヴァリニャーノと黒人の弥助を見るために、群衆が待ち受けていた。これにより、ヴァリニャーノたちが狭い場所を通る際、道端の店が荒らされることになったという。 1581年3月26日(天正9年2月22日)、ヴァリニャーノ一行が織田信長との謁見のため京都に入ると、黒人の噂はたちまち広まって群衆が南蛮寺へと殺到し、投石のため負傷者が出て、死者も出そうになった。その噂を聞いた信長の招きを受けて、3月27日(和暦2月23日)、都の教区長であるオルガンティーノが弥助を連れて、信長の滞在する本能寺に赴いた。