
山寺宏一
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山寺 宏一(やまでら こういち、1961年〈昭和36年〉6月17日 - )は、日本の声優、タレント、歌手、ナレーター、司会者、俳優、ものまねタレント、ラジオパーソナリティ。宮城県塩竈市出生、宮城県出身。アクロスエンタテインメント所属。 ジャンルを問わず様々な作品に出演し、幅広い役をこなすことから「七色の声を持つ男」と呼ばれる。また、声優としてだけでなくラジオパーソナリティーや俳優、タレントとしてもマルチに活動する。 経歴 生い立ち 宮城県塩竈市の遠藤産婦人科で誕生。その後、2歳から13歳まで多賀城市で過ごし、その後は宮城郡利府町で育ち、22歳まで実家暮らしをしていた。ふたりきょうだいの弟で、家族に3つ上の姉がいる。 両親は共働きで昔はカギっ子だったが、会話の多い家庭で、話を聞いてもらえた人物がいたこともあり、寂しくなかったという。昔は自衛官に憧れていたこともあり、人生最初の夢は自衛隊に入隊することであり、クラスメイトにも自衛官の子供が多かった、父は元自衛官で、山寺自身は小学校時代は自衛隊官舎に住んでいた。母の2人の姉妹の夫も自衛隊に所属しており、父も叔父も自衛官だった。しかし、小学校高学年にもなったところ「皆が必ず自衛官になるわけじゃない」と分かってきたという。 子供の頃は人気者で、当時山寺が住んでいた場所の向こう三軒両隣のような、そんな範囲内でネタをしていた。一番最初に確立していたネタは『怪物くん』で幼稚園から小学校ぐらいはテレビアニメ『怪物くん』の替え歌を家族皆に当てはめてしていた。一方小さい頃から教師や周囲の人物たちに怒られないようにしてた少しずるい子供だった。昔から嫌なことがあるとぶすっとしており、注意されると「だって○○くんもやったから」と他人のせいにすることもあり、多賀城市立多賀城小学校時代は「むつけの山寺、かつけの山寺」と呼ばれていた。小学生の頃のあだ名は「和尚さん」だった。小学1、2年生ぐらいの時は、内弁慶で、優しい自分を結構演出しているような部分があった。小学3、4年生あたりから「クラスを明るくしてくれる山寺くん」という感じになった。小学3、4年生の時に二枚目で成績優秀でスポーツ万能でクラスのヒーローだった人物と仲が良く、山寺はその人物とは親友のつもりだった。しかし、周囲から「山寺は○○の金魚のフン」と言われた時はショックで、小学5年生の頃の音楽隊の募集の時は「○○君を出し抜くチャンスだ!」と思い、真っ先にトランペットに立候補していた。当時はトランぺッターになりたく、姉が持っていたニニ・ロッソのレコードを聴いて憧れていた。その募集の時は当初は皆トランペットを吹けないことから、その時の楽器は山寺が苦手だったたて笛で「トランぺッターになりたい」と作文まで書いていた山寺はたて笛の猛練習をしていた。その結果は笛のテストで不合格になり