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小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年9月26日)は、英国・日本の新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、英文学者。出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)。ギリシャ出身でアイルランドで育ち、アメリカ合衆国で活躍した後に日本に移住した。 概要 日本では『怪談』『知られぬ日本の面影』『骨董』などで知られる明治時代の作家である。明治期の日本を海外に紹介したことや、「耳なし芳一」「雪女」「ろくろ首」「貉」といった日本に古くから伝わる口承の説話を記録・翻訳し、世に広めたことで評価されている。 アメリカ合衆国の人々にとっては、日本文化の紹介者であるとともに、クレオール料理本を出版して現代に伝えた人として知られる。それはクレオール料理を文章で初めて記録したものであり、現在でもアメリカではハーンが残したレシピをもとにクレオール料理が作られていて、アメリカ在住のクレオールの人々にとっては、恩人・ヒーローである。ニューオーリンズのマルディグラ祭りのパレードでは毎年、ハーンを記念した山車も出る。 生涯 アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に、当時イギリス領だったレフカダ島で生まれる。幼児のうちに母とともに、父の故郷・アイルランドに移り住んだが、父は他の女性と暮らすため母を見捨て、母は心を病み、両親は離婚して母はラフカディオを残したままギリシャに帰国、ハーンは4歳で両親に捨てられる形になり、大富豪だった父方の大叔母に引き取られる。大叔母のもと、厳格なカトリックの教えを強いられ、その反動でキリスト教嫌いになり、神話や伝説、民話、民間信仰、アニミズムといったものに興味を引かれるようになった。 16歳の時に遊具が左目に当たり視力を失う。17歳で大叔母が破産して経済的に困窮し、19歳の頃に移民船でニューヨークに上陸、出会った人に導かれシンシナティに移動。ホームレス同然だったところを印刷屋のワトキンに拾われ、印刷の知識を身に付ける。文筆業の才能を持っていたハーンは新聞社に就職してジャーナリストとなる。その地で知り合った女性マティ(片親はアイルランド系、片親は奴隷出身)と結婚したが、当時のシンシナティでは白人と有色人種の結婚が禁じられており、ハーンは白人の上司・同僚らから有色人との結婚を責められ記者の職を失う。27歳でニューオーリンズに転居。ハーンはさまざまな文化をルーツに持つ人々、白人でも有色人種でも分けへだてなく接し、公園に集うブードゥー教信者に取材し彼らが行っていることを記事にしたり、ニューオーリンズに住むクレオールの人々の食文化を初めて文章に書き書籍化することもして、次第に作家としての力をつけていった。
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