
劉家昌
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劉 家昌(りゅう かしょう、1941年〈康徳8年〉4月13日 - 2024年〈民国113年〉12月2日)は、中華民国(台湾)のシンガーソングライター、俳優、映画監督。費玉清やテレサ・テンをはじめとする著名な歌手に楽曲を提供するなど、1970年代から1980年代にかけて中華圏の音楽業界で活躍したことから、華語流行音楽の父と呼ばれる。 生涯 生い立ち 1941年(康徳8年)4月13日、満洲国の哈爾浜に生まれる。籍貫は山東省。国共内戦の戦乱から逃れるために家族で韓国へ移住し、漢城華僑小学・漢城華僑中学に在籍した。また、韓国の俳優学校の演出家にも1年半在籍していた。中学時代にアメリカ軍の楽団の楽器運搬を手伝ったことをきっかけに歌手としての活動を始め、17歳の時に初めての曲を書いた。それまで楽器を習ったことがなかった劉家昌は、2人の姉がピアノを弾くのを見て音楽理論を独学で習得した。その後台湾に移住し、台湾省立新竹中学・国立政治大学政治学系を卒業した。 作曲家として 初期はナイトクラブで洋楽を演奏していたが、成功には至らなかった。 1968年(民国57年)、瓊瑤原作の同名の映画の主題歌として発表した「月満西楼」がヒットし、徐々に頭角を現していった。1970年(民国59年)には優雅に提供した「往事只能回味」が注目を集め、優雅は一躍時の人となった。 他の主な提供楽曲としては、テレサ・テン「独上西楼」、ジェニー・ツェン「誓言」、鳳飛飛「有真情有活力」「我是中国人」、欧陽菲菲「嚮往」、劉文正「諾言」、ジュディ・オング「海鷗」、江蕾「煙雨斜陽」、費玉清「晩安曲」「中華民国頌」、陽帆「揚帆」、楊林「不一樣」、沈雁「一串心」などがよく知られている。また、「梅花」「一簾幽夢」「庭院深深」などの映画主題歌も制作した。 日本の音楽業界も劉家昌の才能に注目し、内山田洋とクール・ファイブや森進一、さだまさしが劉家昌の楽曲をカバーした。日本側は1曲につき400万円もの印税を支払っていたという。内山田洋とクール・ファイブは1974年(昭和49年)の第25回NHK紅白歌合戦で「海鳴り」(「海鷗」の日本語カバー)を歌った。 1980年代にはレコードレーベル「欧帝威唱片」を自ら設立し、優雅、王海玲、張琍敏などの歌手が所属した。 劉家昌本人の証言によると、彼は約2000から3000もの曲を制作したという。