
内田裕也
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内田 裕也(うちだ ゆうや、1939年〈昭和14年〉11月17日 - 2019年〈平成31年〉3月17日)は、日本のミュージシャン、ロック歌手。俳優、プロモーター、タレント・スカウト、音楽プロデューサー、エンターテイナー、政治活動家。本名:内田 雄也(読み同じ)。兵庫県出身。身長174cm。血液型はB型。 兵庫県西宮市に生まれ、1959年に日劇ウエスタンカーニバルで本格的にデビュー。内田裕也とザ・フラワーズ、フラワー・トラベリン・バンドでのロッカーとしての活動のほか、1970年代後半からは俳優としても活動した。映画の代表作に『コミック雑誌なんかいらない!』『エロティックな関係』『水のないプール』『十階のモスキート』『魚からダイオキシン!!』などがある。若松孝二監督や神代辰巳監督の作品にも出演した。口癖は「ロックンロール」(Rock'n Roll)。 妻は俳優の樹木希林。娘は内田也哉子。内田也哉子と結婚した本木雅弘は娘婿に当たる。 経歴・人物 兵庫県西宮市生まれ、大阪府堺市育ち。母が40歳過ぎて産まれた子供で、兄に殴られているときも庇ってくれたのは母だけで、マザコンがあると思うと話している。堺市立大美野小学校〜堺市立三国丘中学校入学(1952年)。中学二年の時、清教学園中学校に転入(一期生)、翌1953年、大阪市立旭陽中学校へ転入。1955年、大阪府立旭高等学校へ入学。少年時代は発明に凝るなど、真面目で勉強熱心なタイプで、清教学園中学時には生徒会副会長を務める。中学ではラグビー部、高校では野球部に所属。しかし、エルヴィス・プレスリーに憧れたことで学校に行かなくなり、旭高等学校を退学して1956年、大阪府立三国丘高等学校に転校する。1957年、高校卒業後、日本大学法学部の夜学を中退。 プロ野球は阪神タイガースファンである。バンドボーイとして音楽生活を開始し、間もなく佐川ミツオ(現・佐川満男)とともにバンドボーイ兼ボーカルとしてロカビリー・バンドのブルー・キャップスを結成する。 1958年、19歳のとき、自身がバンドマスターのブルージーン・バップスを結成。メンバーには美川鯛二(現・中村泰士)、北原謙二などがいた。1959年、大手芸能事務所である渡辺プロダクションに所属し、同年に日劇ウエスタンカーニバルへ初出場する。1960年、かまやつひろしなどとサンダーバードへ参加するが、ジャズ志向が強いバンドであったため脱退し、山下敬二郎とレッド・コースターズ、田川譲二とダブル・ビーツなどのバンドを渡り歩く。1962年、寺内タケシとブルージーンズにヴォーカリストとして参加。