
井上一樹
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井上 一樹(いのうえ かずき、1971年7月25日 - )は、鹿児島県姶良郡溝辺町(現:霧島市)出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、プロ野球監督。現役時代は1990年から2009年まで20年間にわたり中日ドラゴンズ一筋でプレーした。2025年からは中日の監督を務める。 経歴 アマチュア時代 陵南小学校、陵南中学校の出身で、小学生時代にソフトボールを始め、中学時代に軟式野球部に入部した。鹿児島商業高校時代は、投手兼外野手として高校2年生のとき甲子園に1回出場。甲子園出場について井上本人が「行進のときに鳥肌が立ったことが忘れられない。これのために頑張ってきたんだと思った。」と語っている。甲子園での敗退後、甲子園の砂を集めていたら、同級生の選手から「何やってるんだ!来年も来るんだろ!」と声をかけられ、砂を一度は戻したが、後からこっそり集め直した。3年夏は県大会決勝で大西崇之、吉鶴憲治(ともにプロで同僚)がいた鹿児島商工を相手に延長15回二死まで投げるも惜敗。高校通算40本塁打を記録し、野手・投手の双方で注目を集めた。 1989年のNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから2位で指名。投手として入団した。入団当初の背番号は38。同年のドラフト会議については、当時のスカウト担当だった中田宗男の著書『星野と落合のドラフト戦略 元中日スカウト部長の回顧録』に、井上に関する記載があり、ベテランスカウトの法元英明がドラフト時はピッチャーとして指名したが、早くバッターに転向して欲しかった。しかし井上本人がピッチャーにこだわった。これに対し、井上は「紆余曲折あったが、バッターに転向したことは後悔していない。だからこそ長い間、野球界にいられた…と考えれば、運命めいたものを感じる」と発言している。またプロ入り当時の監督だった星野仙一からはよく「法元さんから、九州にすごい豪腕がいる!とゴリ押しされたから、しょうがなくお前を捕ったんだ。」とからかわれた、とも語った。結果、井上は星野監督時2度目のリーグ優勝に大きく貢献することとなった。 現役時代 1990年は7月まで「練習生」としての在籍で、夏過ぎに支配下選手登録され、二軍のウエスタン・リーグ公式戦では5試合に登板、うち2試合に先発して1勝2敗0セーブ、防御率5.87の成績を残した。同年は読売ジャイアンツ(巨人)二軍とのジュニア日本選手権で先発登板したが、ノックアウトされた。 1991年は将来の左のエースとして期待されていた。5月11日の対広島東洋カープ6回戦(ナゴヤ球場)で、救援投手として一軍公式戦にデビュー。 1992年には1試合に登板した。 1993年のシーズン途中から打者へ転向。 1994年のジュニアオールスターにウエスタン・リーグ選抜の一員として出場すると、MVPを獲得した。
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