中村雅俊(Masatoshi Nakamura)
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この人は?
中村 雅俊(なかむら まさとし、1951年〈昭和26年〉2月1日 - )は、日本の俳優、シンガーソングライター、タレント、司会者、ナレーター。ノースプロダクション所属。2020年までは自身が代表取締役社長を務めていたエム・ジェイ・エンタープライズに所属していた。マリンパル女川の名誉館長も務めていた。妻・五十嵐淳子との間に1男3女がおり、長男は元俳優の中村俊太、三女はタレント・モデルの中村里砂。 宮城県牡鹿郡女川町出身。女川町立女川第一中学校、宮城県石巻高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。身長182cm。 略歴 江戸時代、先祖が江島に移住し、祖父はカツオ船の漁師、父はカツオ節職人を営んでいた。父は中村が4歳の頃死去。 母親(1922年 - 2016年)はホヤ貝の行商を営む他、漁師町で酒場を経営し、働き詰めの生活で一家を支えた 。二人の姉(他には中村自身が生まれる前に5歳で死去した兄がいた)がおり、ホステスが住み込みで働いていたことから、幼い頃から女性に囲まれた生活をしていた。中村は「母親が忙しかったから、毎日テーブルに食事代として200円が置かれていたんです。食事代を100円に抑えて、残りの100円を貯金してクリフ・リチャードといった洋楽やザ・スパイダース、ザ・タイガースなど当時、流行していたGS(グループサウンズ)のレコードを買っていましたね」と当時を振り返っている。女川第一中学校卒業後、宮城県石巻高等学校に進学。高校ではバスケットボール部に所属。五木寛之の著書『青年は荒野をめざす』を読み、ソ連と関わる仕事がしたいと外交官を夢見て東京外国語大学への進学を希望するも、東北大学に進み宮城県庁職員になることを希望する母親と対立。東京外語大は不合格となり、一浪して慶應義塾大学経済学部に進学。後に中村は、地方紙に載ったことで対立していた母に受け入れられたと話している。大学時代はESSに所属しており、四大学英語劇大会に参加していた。1973年文学座附属演劇研究所に入所し、大学卒業と同時に文学座に入団。文学座の先輩である松田優作の紹介で岡田晋吉の目に留まり、翌年、日本テレビ系列で放送された『太陽にほえろ!』84話にゲスト出演しデビュー。同局の青春ドラマ『われら青春!』の主役に抜擢され人気を獲得し、自らが歌う挿入歌『ふれあい』が100万枚を超えるセールスを記録した。実は松田が中村を紹介したのは、村野武範が松田を岡田に紹介した時同様に、麻雀に負けた時の約束だった。