
エゴール・ガイダル(Yegor Gaidar)
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エゴール・チムロヴィッチ・ガイダル(ガイダール、ロシア語: Его́р Тиму́рович Гайда́р、ラテン文字転写の例:Egor Timurovich Gaidar、1956年3月19日 - 2009年12月16日)は、ロシアの政治家、経済学者。下院国家会議議員、右派連合(右派勢力同盟)共同議長。ソビエト連邦の崩壊後、エリツィン時代前期に首相代行、第一副首相などを歴任し、急進的経済改革を実施した。 経歴 1956年3月19日にソビエト連邦のモスクワに生まれる。1978年、モスクワ大学経済学部を卒業。モスクワ大学大学院に進み、スタニスラフ・シャターリンの指導を受ける。経済学博士号を取得。1980年から経済分野の研究所で学究生活に入り、ソ連共産党機関誌「プラウダ」や「コムニスト」誌の編集局に勤務する。1990年、移行期経済問題研究所を設立し所長に就任する。 1991年のソ連8月クーデターで、エリツィンの国家非常事態委員会に対する声明に同調したガイダルは研究所のスタッフとともにロシア最高会議ビル(ホワイトハウス)に駆けつけ、ビルの防衛に参加した。 同年9月、ソ連国民経済アカデミー経済政策研究所所長として、経済改革案を作成する。同年11月、改革案をエリツィンに評価されロシア共和国の経済担当副首相に35歳の若さで抜擢される。1992年1月「ショック療法」と呼ばれる価格自由化政策を断行する。3月には第一副首相兼大蔵大臣に昇格する。しかし「ショック療法」はロシア経済に急激なハイパーインフレーションをもたらす結果となり、国民生活に大打撃を与えた。4月第6回人民代議員大会では、激しい批判を受ける結果となる。 エリツィンは局面打開のため、保守派と妥協し、ヴィクトル・チェルノムイルジンガスプロム社長を副首相に任命するなど大企業経営者を入閣させて、経済改革を穏健な路線に転換する。一方でガイダルに対しては、6月首相代行に指名し、人民代議員大会に対し、ガイダルの首相就任の承認を求めた。しかし、12月第7回人民代議員大会及び最高会議は拒否し、最終的に首相にはチェルノムイルジンが任命され、ガイダルは辞任した。