
ヤーセル・アラファート(Yasser Arafat)
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ヤーセル・アラファート(アラビア語: ياسر عرفات(転写:Yāsir ‘Arafāt)、英:Yasser Arafat 等 1929年8月24日 - 2004年11月11日)は、パレスチナのゲリラ指導者、政治家。パレスチナ国初代大統領、パレスチナ解放機構(PLO)執行委員会議長などを務めた。報道などではヤセル・アラファトの表記が多い。本名はムハンマド・アブドゥッ=ラウーフ・アル=クドゥワ・アル=フサイニー (محمد عبد الرؤوف القدوة الحسيني) 。 アラファートは、長らくイスラエルに対する強硬派であり、多くの武装闘争を主導した。しかし、後に穏健路線に転じ、1993年にはイスラエルとの歴史的な和平協定を果たしてパレスチナ自治政府を設立する。これによって1994年にノーベル平和賞を受賞したが、イスラエル側で和平を主導していたイツハク・ラビンが暗殺されてからはイスラエルとの和平プロセスは停滞し、晩年にはイスラエルとの対立やパレスチナの内紛に苦しめられた。 名前 「ヤーセル・アラファート」は通名で、本名はムハンマド・アブドゥッ=ラウーフ・アル=クドゥワ・アル=フサイニー (محمد عبد الرؤوف القدوة الحسيني) 。名前に含まれる「フサイニー」は、彼がエルサレムの名家フサイニー家の出自であったことを意味する。 「ヤーセル」は「静かな」「落ち着いた」「のんきな」といった意味をもつアラビア語の男性名。「アラファート」は、イスラム教の聖地マッカの郊外にある巡礼対象の聖山アラファートの名にちなむ。通り名の「ヤーセル」は、知り合いのパレスチナ人の名前を死亡時に受け継ぎ、自ら名乗ったものとしている。後に、アブー・アンマール (ابو عمّار) という通称も用いた。この通称が、いわゆる「ゲリラ名」として国際社会に知られているものである。 生涯 生い立ち エルサレムのアラブ系スンナ派ムスリム(イスラム教徒)の名門フサイニー家に属する裕福な織物商家の7人中5番目の子として生まれた。アラファート自身は1929年8月4日にエルサレムに生まれたことを主張してきたが、同年8月24日にカイロに生まれたというエジプトの出生記録もあり、彼の誕生日と誕生地は彼が生粋のパレスチナ人であったかという問題と絡んで議論の的となっている。 少年時代をカイロおよびエルサレムで送った後、カイロ大学で工学を学んだ。学生時代にはパレスチナ学生連合に所属し、1952年から1956年まで議長として活躍した。また、この時期にユダヤ人に興味を持ち、テオドール・ヘルツルの本を読んだり、ユダヤ人街の礼拝に出席してそれを知った父親に殴られたこともあったという。