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ヤイル・ラピド

ヤイル・ラピド(Yair Lapid)

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ヤイル・ラピド(ヘブライ語: יאיר לפיד、1963年11月5日–)は、イスラエルの政治家、ジャーナリストである。2013年以降、同国の財務大臣、副首相(輪番制)、外務大臣、第19代首相を歴任した。中道政党イェシュ・アティッドの党首。 来歴 1963年11月5日、テルアビブに生まれた。父はジャーナリストで政治家、元法務大臣のヨセフ・"トミー"・ラピド、母は作家のシュラミト・ラピドである。母方の祖父もジャーナリストでイスラエルの日刊紙『マアリヴ』の創業メンバーの一人であった。 テルアビブと英国で成長した。高校はヘルツリーヤの学校に通ったが、学習障害に悩まされ、修了資格バグルートを取得することはできなかった。このことは後の騒動の種となる。 ジャーナリストとして その後イスラエル国防軍に服務した際、軍の特派員となったのがジャーナリストとしてのキャリアの始まりであった。 1988年、25歳のとき、イェディオト・アハロノトグループの地方紙の編集者に採用された。 1991年、『マアリヴ』に週刊コラムの掲載をはじめ、その後『イェディオト・アハロノト』へ移った。コラムのタイトル「金はどこだ?」は彼の政治的キャッチフレーズとなった。 1994年からはテレビのトーク番組に出演し知名度を上げた。 ほかにも映画出演、書籍の出版、楽曲への歌詞提供など幅広いジャンルで活躍した。 政治家として 2012年1月、ラピドがバル=イラン大学の解釈学の博士課程への入学が認められたことにつき論争が生じた。博士号取得者は最低でも学士号を取得していなければならないが、ラピドは高校を卒業していなかった。大学は、ラピドのジャーナリズムや執筆の業績を評価し入学を認めたと釈明したが、最終的には国の高等教育評議会によって取り消された。 同じ月、ラピドはジャーナリズムから政治家への転身を表明し、政党イェシュ・アティッドを結成した。イスラエルの中流階級に対して主に経済面にアピールし、翌年1月のクネセト総選挙では予想を上回る19議席を獲得し第二党となった。当時の首相ベンヤミン・ネタニヤフ率いるリクードは第一党の座を得たものの議席数は31にとどまったため、ネタニヤフはイェシュ・アティッド、ユダヤ人の家、ハトヌアと連立政権を形成した。これに伴いラピドは第3次ネタニヤフ政権において財務大臣として入閣した。 2014年12月、ネタニヤフは連立解消、解散総選挙を見据えてラピドを財務大臣から解任した。2015年3月に行われたクネセト総選挙ではイェシュ・アティッドは議席を11に減らし第四党となった。下野したラピドは野党の中心人物として存在感を放ち、2017年に始まるネタニヤフの汚職疑惑においてはその目撃者として積極的に立ち回った。

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