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ウディ・ガスリー

ウディ・ガスリー(Woody Guthrie)

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ウッドロウ・ウィルソン・ガスリー(Woodrow Wilson "Woody" Guthrie, 1912年7月14日 - 1967年10月3日)は、アメリカ合衆国のフォーク歌手・作詞家・作曲家・政治活動家。プロテスト・フォークの歌手として有名だった。生涯3千曲を書いたとされているが、録音されたのは、ごく一部である。代表曲に「ジス・ランド・イズ・ユア・ランド」(「我が祖国」)、「労働歌」などがある。 生涯 1912年、中西部オクラホマ州オケマーに生まれる。名前は同年の選挙で大統領に選出されたウッドロウ・ウィルソンの名に由来する。父親は人種差別的な考えの持ち主だった。ガスリーが幼少時、好景気の中で父親は不動産屋を経営している裕福な家庭であった。ガスリーが6歳の時に自宅で火災が発生し、姉のクララはその時の負傷がもとで亡くなっている。さらに父親が他の家の火事に巻き込まれ、重傷を負ってしまう。父親が治療のためテキサス州に移転すると、ガスリー家は一気に傾き、ガスリーは13歳の時には路上に投げ出されるような状態になった。母親はハンチントン病病を患い、精神も病んでしまう。14歳の時、母親が死去し、一家は離散する。17歳だったガスリーは、国中を日雇労働者として放浪し、バーや労働者のストライキや組合の集会などに関わった。19歳のときにテキサス州へ赴き、最初の妻メアリー・ジェニングスと結婚して3人の子供をもうけた。しかしガスリーはダストボウル時代の到来とともに、カリフォルニア州に移住するオクラホマ州人のオーキー(季節労働者)の後に従い、家族を残して旅立った。これらの若い時期の旅行で見た労働者たちが直面する貧困はのちの作品に大いに影響を与えた。 ガスリーは生涯を通じて社会主義者かつ労働組合活動家であり、デイリー・ワーカー紙、人民世界紙に常設コラム「ウディ・セズ」を執筆した。ガスリーがアメリカ共産党員であったという”明確な証拠はない”が、長年共産党の新聞にコラムを書き続けたことは事実である。

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