
ウィリアム4世 (イギリス王)(William IV)
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ウィリアム4世(英: William IV, ウィリアム・ヘンリー(William Henry)、1765年8月21日 - 1837年6月20日)は、イギリス、ハノーヴァー朝の国王およびハノーファー王国の国王(ドイツ名:ヴィルヘルム Wilhelm, 在位:1830年6月26日 - 1837年6月20日)。ジョージ3世と王妃シャーロットの第3子で、先王ジョージ4世の弟にあたる。青年時代海軍に勤務していたため、後に「船乗り王」(Sailor King)の愛称で親しまれた。 生涯 生誕 1765年8月21日の朝、ジョージ3世と王妃シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツの三男としてバッキンガム・ハウスで生まれた。長兄にジョージ(のちジョージ4世)、次兄にフレデリック(のちヨーク=オールバニ公爵)がおり、後に長弟エドワード(のちケント公爵)、次弟オーガスタス(のちサセックス公爵)、三弟アドルファス(のちケンブリッジ公爵)らが生まれる。兄弟のうち、長兄ジョージとは仲が悪かった。 9月20日、洗礼を受け、「ウィリアム・ヘンリー」と名付けられた。 1770年、わずか5歳にしてシッスル勲章を授与された。 幼少期は、ヤコブ・デ・ビュデ陸軍少将(ハノーファー王国陸軍軍人のスイス人)ジェイムズ・マジェンディ医師の教育を受けた。 海軍勤務時代 1779年、13歳の時士官候補生として海軍に入隊した。海軍内では特別扱いされず一般の士官候補生と共に訓練を受けたが、王家出身であることを隠して生活、決して弱音を吐かなかったという。一方で、部下や同僚の人気はなかったとされる。 1780年のサン・ビセンテ岬の月光の海戦にジョージ・ロドニー提督指揮下の艦隊に参加しスペイン艦隊撃破を体験、戦後ロドニーと共にロンドンに凱旋、素性が割れたこともあって市民から大歓迎され父からも喜ばれた。アメリカ独立戦争の時はニューヨークで勤務しており、イギリス歴代君主の中でアメリカ合衆国を訪問した経験のある最初の人物となった。 1783年に帰国して次兄のヨーク=オールバニ公爵フレデリックと共にドイツ・イタリアへグランドツアーに出かけたが1785年にイギリスへ帰国、士官となり、翌1786年に軍艦「ペガサス」の艦長になった。1786年中頃には、ニューファンドランドとハリファックス(ノヴァスコシア)に差し向けられ、カナダの土を踏んだことのある最初の君主にもなった。その年の暮れにはホレーショ・ネルソン提督の旗下西インド諸島で勤務した。1790年には海軍少将に進級したが、これは海から陸へと遠ざけられた後方勤務であり、いわば敬遠だった。背景には王子のウィリアムがいては海軍命令系統に不都合だからとされる。