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温家宝

温家宝(Wen Jiabao)

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温 家宝(おん かほう、簡体字:温 家宝、繁体字:溫 家寶、英語:Wen Jiabao、ウェン・チアパオ、1942年〈民国31年〉9月15日 - )は、中華人民共和国の政治家。第9期国務院副総理、第16・17期党中央政治局常務委員、第6代国務院総理を歴任した。党の第4世代では最高指導者である胡錦濤総書記と共に重要な位置を占め、胡錦濤政権における党内序列は胡錦濤総書記・呉邦国委員長に次ぐ第3位であった。 経歴 中国共産党入党と甘粛省での活動 1942年9月15日に天津市北辰区宜興埠鎮文家胡同の自宅で生まれた。教員一家である教育家庭に育ち、祖父の温英世は中華民国時代の教育者で、学校を経営し校長を務めていた。父の温剛と母の楊秀安(旧姓:楊志雲)も小中学校の教師であった。温家宝は幼い頃、祖父が経営する私立の小学校に通っていた。その後天津に移り、鼓楼西小学校に通った。1954年から1960年まで天津南開中学校で学び、卒業後は北京地質大学(現:中国地質大学)に入学した。 1965年4月、同大学在学中に中国共産党に入党し、地質研究所の反乱組織「地質研究所東紅」に積極的に参加した。1968年に研究生課程を卒業し、地質関係の技術者として働き始める。1968年から1978年までの間、甘粛省地質局に配属され、地質鉱産部門の技術員・行政指導員として業務に従事した。1979年には甘粛省地質局副局長に就任。後に党総書記・最高指導者となる胡錦濤と同様に当時の甘粛省委員会書記だった宋平によって抜擢された温家宝は1982年に国務院の地質鉱産部政策法規研究室主任となる。 中央政界へ 温家宝が甘粛省から北京の国務院に移った当時、共産党総書記であった胡耀邦は若手の有能な人物の登用を進めていた。地質鉱産部長(大臣)の孫大光の賞賛を受けた温は、1983年10月に地質鉱産部副部長(次官)に就任した。その後胡耀邦によって抜擢され、1986年5月に党中央弁公庁主任となる。1993年に中央財経領導小組秘書長に転出するまで、温家宝は胡耀邦・趙紫陽・江沢民の3代の総書記の下で中央弁公庁主任を務めた。温家宝はこの3人の総書記に仕えた唯一の人物である。1987年11月には党中央委員に選出され、党中央書記処候補書記となる。 1989年5月19日に民主化を要求して天安門広場を占拠した学生たちと対話を試みるため、趙紫陽は彼らの下へ向かった。温家宝は趙紫陽に同行した(天安門事件を参照)。この趙紫陽の行動は「重大な反抗」とされ、趙紫陽は総書記を解任されて失脚、2005年1月の死まで自宅軟禁に置かれた。しかし温家宝は、当時の立場や自己批判が考慮されたことで、天安門事件の余波を受けて失脚することもなく政治的に生き残った。

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