
ヴァルター・ウルブリヒト(Walter Ulbricht)
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ヴァルター・エルンスト・パウル・ウルブリヒト(ドイツ語: Walter Ernst Paul Ulbricht、1893年6月30日 - 1973年8月1日)は、ドイツの共産主義者の政治家。1950年から1971年までドイツ社会主義統一党の第一書記(書記長)を、1960年から1973年まで国家元首である国家評議会議長を務め、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の建国と初期の発展に中心的な役割を果たした。 来歴・人物 生い立ち ウルブリヒトはライプツィヒで仕立て屋の息子として生まれた。両親ともドイツ社会民主党 (SPD) の熱心な活動家であった。ヴァルターは小学校に通った後、指物師の修行をしつつドイツ社会民主党の活動にも加わった。1915年より1917年まで彼は第一次世界大戦に出征し、ガリツィアおよびバルカン戦線で戦った。戦争に当初より反対していた彼は1917年に部隊から脱走し投獄されたが、ドイツ革命の只中の1918年に出獄した。 戦間期の政治活動 戦争に出る前の1912年、ウルブリヒトはドイツ社会民主党に加入している。戦後、1920年に彼はドイツ共産党 (KPD) の党員となり、1924年から1925年にかけてモスクワの国際レーニン学校でコミンテルンの指導を受けた。1926年、彼はザクセン州の州議会議員に当選、1928年から1933年には国会(ライヒスターク)議員も務めた。 1933年のナチスの政権獲得まで、ドイツではナチスの「突撃隊」や共産党の「赤色戦線戦士同盟」に代表されるような左右の政党の私兵部隊が示威行動を起こし、各地で騒動が頻発していた。双方の行動部隊や支持者、警察が入り乱れての暴力ざたもしばしば起こった。1931年、ベルリンの共産党員は警察が共産党のデモ隊員一人を殺すごとに警官を二人殺すことを決定、これを受けてウルブリヒトは同志のハインツ・ノイマン (Heinz Neumann) とハンス・キッペンベルガー (Hans Kippenberger) と共謀して警官二名を殺す計画を立て、エーリッヒ・ミールケら党員に警官殺害を実行させている。社会民主主義を敵視する社会ファシズム論が主流だった1932年、コミンテルンはドイツ共産党に社会民主党の敵であるナチスとの協力を指示し、ウルブリヒトはナチスのプロパガンダ担当者だったヨーゼフ・ゲッベルスと組んでそれぞれの構成員や労働者組織に同時ストライキを起こさせた。ストライキではナチスと共産党の双方の党員が共に行進し示威行動を行ったが、ストは5日で収束した。