
ウラジーミル・ジリノフスキー(Vladimir Zhirinovsky)
このスターに新着があれば通知でお届け
日別に見る
この人は?
ウラジーミル・ヴォリフォヴィチ・ジリノフスキー(ロシア語: Влади́мир Во́льфович Жирино́вский, ラテン文字転写: Vladimir Voľfovich Zhirinovskii, 1946年4月25日 - 2022年4月6日)は、ロシア連邦の政治家。ロシア連邦軍大佐、ロシア自由民主党の創設者。国家院副議長や欧州評議会議員会議の委員も務めた。 極右・ポピュリスト的な発言・活動からロシア民族主義者と思われがちだが、自身は純粋なロシア人では無く、父方を通じてユダヤ人の血を引き継いでおり、ロシア人名に改名する前にはユダヤ人の名前を持っていたユダヤ系ロシア人であった。当初は反シオニストでユダヤ陰謀論者でも知られていたが、2003年に父の墓もあるイスラエルを訪れてからはロシアとイスラエルの関係強化を主張するようになった。ロシア語・トルコ語・英語・フランス語・ドイツ語の5カ国語を話し、中東及びカフカス問題の専門家を自称していた。 1991年12月のソビエト連邦崩壊以降の歴代政権に対して批判を繰り返すも、法案採択などに当たっては与党に同調する事が多く、特にウラジーミル・プーチン大統領に近い人物と言われた。 生い立ちと教育 1946年4月25日にソビエト連邦のカザフ・ソビエト社会主義共和国の首都であるアルマアタ(現在のアルマトイ)にて、法律家の家庭に誕生する。誕生当時の苗字はドイツ語のエーデルシュタイン(Edelstein)に由来するユダヤ人の苗字である「エイデリシュチェーイン」(Эйдельште́йн)。母親のアレクサンドラ・ジリノフスカヤはモルダヴィア出身のロシア人であり、父親のヴォルフ・エイデリシュチェーインはウクライナ西部出身のウクライナ系ユダヤ人であった。 1964年7月にジリノフスキーはアルマアタからモスクワに移住し、モスクワ大学にてトルコ・アジア・アフリカといった東方の国々の言語の研究を始める。1965年から1967年まではマルクス・レーニン主義大学国際関係学部にも所属しており、国際関係学を学んだ。1972年から1977年までモスクワ大学法学部の夜間部で学び、優秀な成績で同大学を卒業した。1998年にはモスクワ大学にて哲学博士候補者にもなっている。法学の学位を取得したジリノフスキーは、州の委員会や組合の様々な役職に就く。 1969年から1970年にソ連国営テレビ・ラジオ会社で研修を受け、またコムソモールでも活動する。1970年にソビエト連邦軍ザカフカス軍管区参謀部で将校として勤務し、ソ連平和擁護委員会西ヨーロッパ部門で働く。1983年から1990年までは出版社の「ミール」に勤務していた。なお1970年代の初期にはトビリシにて兵役に就いていた。