
ヴィクトル・ユシチェンコ(Viktor Yushchenko)
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ヴィークトル・アンドリーヨヴィチ・ユシチェンコ(ウクライナ語: Ві́ктор Андрі́йович Ю́щенко, ラテン文字転写: Viktor Andrijovyč Juščenko、1954年2月23日 - )は、ウクライナの政治家。2010年2月25日まで大統領を務めた。 来歴 生い立ち 1954年2月23日、ソビエト連邦の一部だった、ウクライナ共和国東部のスームィ州・ホルージウカ村の教師の家庭に生まれた。父親のアンドレイは、第二次世界大戦に出征、独ソ戦で捕虜となり、アウシュヴィッツ強制収容所に収容されていた。 ユシチェンコは、ウクライナ西部のテルノーピリ財政・経済大学を卒業し、経済科学準博士号を取得する。卒業後に徴兵され、当時ソ連国家保安委員会 (KGB) 所属だった国境警備軍に1年間勤務した。KGBで働いたことや、1977年からウクライナ共産党に所属していたことにより、ウクライナの極右・民族主義勢力にはしばらくの間認められなかった。 銀行家 1976年から銀行員となった。ソ連時代、著名な財務官ヴァディーム・ヘーチマンにその手腕を認められ、ウクライナ独立後の1993年から1999年まで、ウクライナ国立銀行理事長を務めた。任期中は通貨発行の抑制に努め、国際通貨基金 (IMF) などから高い評価を受けるが、その一方で貨幣不足による給料・年金の遅配や欠配が生じ、政界から不興を買った。 政治家 1999年12月、ウクライナ国債の債務不履行に対処するため、レオニード・クチマ大統領から急遽首相に登用され、債権団との繰り延べ交渉をまとめあげる。在任中、ウクライナのGDPが初めてプラス成長に入る幸運に恵まれたことで国民的人気を獲得するが(99年下半期には既にプラス成長だった)、大統領へ忠実に振るまったため、反対勢力を落胆させた。人気が絶頂に達した時、議会から不信任決議を突き付けられ、2001年5月に解任される。首相退任後の2002年1月、10個の政党が合同した選挙ブロック「我らのウクライナ」を結成し代表となる。2002年3月の議会選挙においての24.7%の支持を獲得した。 2004年大統領選挙とダイオキシン毒 2004年、クチマの任期満了に伴い、大統領選挙に野党から立候補した。2004年9月、ユシチェンコは突然重病にかかり、美男子として鳴らしていた顔が痘痕だらけとなった。これはダイオキシン中毒によるものとされたが、真相は不明であった。ユシチェンコらは親ロシア派の対立陣営(またはロシアのFSBによる)による置毒を主張したので、国民の同情は高まった。