
Uruguay
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ウルグアイ東方共和国(ウルグアイとうほうきょうわこく、スペイン語: República Oriental del Uruguay)、通称ウルグアイは、南アメリカ南東部に位置する共和制国家である。首都はモンテビデオ。北と東にブラジルと、西にアルゼンチンと国境を接しており、南は大西洋に面している。スリナムに続いて南アメリカ大陸で二番目に面積が小さい国であり、コーノ・スールの一部を占める。 国名 正式名称はスペイン語で、República Oriental del Uruguay(レプブリカ・オリエンタル・デル・ウルグアイ)。通称、Uruguay [uɾuˈɣwai̯] ( 音声ファイル)。 国名は西部を流れるウルグアイ川に由来し、語源はチャルーア語で「ウル(という名前の鳥)の川」を意味する。また、正式名称の東方とは、ウルグアイ川の東岸にあることに由来し、独立前に同地を「東方州(バンダ・オリエンタル)」と呼んだことに因む。 歴史 先コロンブス期 現在のウルグアイに当たる場所にはヨーロッパ人の到達直前には、約5,000人程の先住民がいたと推測されており、タワンティン・スウユ(インカ帝国)の権威がこの地には及ばなかったため、モンゴロイドのチャルーア人とグアラニー人をはじめとするインディオの諸集団が、狩猟や原始的な農耕を営みながら生計を立てていた。 スペイン植民地時代 1516年にスペイン人フアン・ディアス・デ・ソリスがここを探検。1520年にはフェルディナンド・マゼランがラ・プラタ川を遡上。その航海の中で、現在のモンテビデオに当たる地域にあった140m程の小高い丘を見た時に発した「山を見たり!(Monte Vide Eu!)」というポルトガル語が首都の名前の由来であるという説がある(名前の由来については他の説もある)。 平坦な丘陵が続き、特に鉱山資源もないこの土地は殖民が遅れたが、放牧された牛、馬、羊が大繁殖するといつの間にかガウチョが住むようになり、家畜を取り合ってスペインとポルトガルの争いが始まった。1680年にポルトガルがコロニア・デル・サクラメントを建設すると、スペインが追随して1726年にモンテビデオを建設した。こうしてこの地は両国の係争地になったが最終的にはスペインの植民地となり、「ウルグアイ川東岸地帯(Banda Oriental del Uruguay,バンダ・オリエンタル)」と呼ばれるようになった。その後、両国の戦争と、1750年代のイエズス会追放によるグアラニー戦争で先住民グアラニー人がパラグアイに撤退した。1776年にリオ・デ・ラ・プラタ副王領が創設されると、モンテビデオはブエノスアイレスに続く第二の港として発展した。