
Theodosius Dobzhansky
テオドシウス グリゴロビッチ ドブジャンスキー、ドブジャンスキー、テオドシウス ドブシャンスキー、フィヨドル グリゴリエヴィッチ ドブジャンスキー、T. G. ドブジャンスキー
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テオドシウス・ドブジャンスキー(Theodosius Grygorovych Dobzhansky, Теодосій Григорович Добжанський; 1900年1月25日 - 1975年12月18日)は、ネオダーウィニズムの発展に中心的貢献をした遺伝学・進化生物学者である。帝政ロシア時代のウクライナ出身だが、1927年にアメリカ合衆国に移住し、1937年に帰化した。 経歴 若年時代 1900年1月25日ウクライナのNemyrivで、数学教師の父グリゴリー・ドブジャンスキーと、母Sophia Voinarskyとの間に生まれた一人っ子である。一家は1910年にキエフに移った。高校時代に蝶の蒐集に興じ、生物学者になることを決意する。1915年、Victor Luchnikに出会ったことで甲虫を専門にするようになる。1917年から1921年までキエフ大学に在籍し、そのまま1924年まで通う。その後、キイロショウジョウバエの研究室を立ち上げたレニングラードのYuri Filipchenkoに師事した。 1924年8月8日、キエフのイワン・シュマールハウゼンの所で研究していた遺伝学者Natalia "Natasha" Sivertzevaと結婚する。彼女との間にはソフィという一人娘があり、のちに人類学者のマイケル・コウに嫁いだ。 この頃はウクライナやロシア帝国は社会的大激動期にあった。第一次大戦のあと、ロシア革命と内戦が相次いで起こり、ソビエト連邦の構成国であるウクライナ社会主義ソビエト共和国が成立した。 アメリカ時代 ドブジャンスキーは1927年にロックフェラー財団からの奨学金を得てアメリカ合衆国に移住し、12月27日にニューヨークに到着した。キイロショウジョウバエを遺伝学の実験に用いた先駆者であるコロンビア大学のトーマス・ハント・モーガンのもとで研究した。1930年から1940年にかけては、モーガンがカリフォルニア工科大学へ移ったのについていった。ドブジャンスキーはショウジョウバエを実験室から出てフィールドでの研究対象として用い、地域内での変種が他地域のハエよりも遺伝的に似通っていることを発見した点で評価されている。 1937年、進化生物学を遺伝学と統合させる「ネオダーウィニズム」の代表的著作の1つである、"Genetics and the Origin of Species"(訳題『遺伝学と種の起原』)を出版し、とくに進化を「遺伝子プール中での対立遺伝子頻度の変化」と定義した。同年、アメリカ合衆国に帰化。この頃、ショウジョウバエ研究の仲間であったアルフレッド・スタートヴァントと教授の地位をめぐって公然と喧嘩をしていた。
経歴
- 1900Born
- 1941Won Daniel Giraud Elliot Medal
- 1958Won Kimber Genetics Award
- 1958Won Silliman Memorial Lectures
- 1959Won Darwin Badge
- 1960Member of German Academy of Sciences Leopoldina
- 1960Won honorary doctor of the University of Sydney
- 1965Member of Royal Society
- 1975Passed away
- Member of Royal Swedish Academy of Sciences
- Notable work: Genetics and the Origin of Species
豆知識
- •Place of birth: Nemyriv
- •Citizenship: Russian Empire, Soviet Union
- •Known as: evolutionary biologist, geneticist, zoologist, entomologist