
麻生太郎(Tarō Asō)
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麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家、元射撃選手。自由民主党所属の衆議院議員(16期)、自由民主党副総裁(第17代・第19代)、志公会会長。中曽根康弘世界平和研究所会長。 内閣総理大臣(第92代)、副総理兼財務大臣(第17代・第18代・第19代・第20代)、内閣府特命担当大臣(金融)(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、デフレ脱却担当大臣(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、外務大臣(第132代・第133代)、総務大臣(第3代・第4代・第5代)、国民スポーツ担当大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、情報通信技術(IT)担当大臣(第2次森改造内閣)、経済財政政策担当大臣(第2代)、経済企画庁長官(第53代)、文部政務次官(竹下改造内閣)、衆議院財政構造改革特別委員長、衆議院外務委員長、衆議院石炭対策特別委員長、自由民主党総裁(第23代)、自由民主党最高顧問、自由民主党幹事長(第44代・第46代)、自由民主党政務調査会長(第44代)、自由民主党経理局長を歴任した。1976年モントリオールオリンピックの射撃競技のクレー射撃・スキートにて、日本代表として出場したオリンピック選手でもあり、日本クレー射撃協会の第11代会長を務めた。 概説 学習院初等科、学習院中・高等科を経て、学習院大学政経学部を卒業後、麻生産業に入社し、麻生セメント(現:株式会社麻生)の社長や日本青年会議所の会頭などを経て、1979年(昭和54年)衆議院選挙に初当選。以後、1983年(昭和58年)の落選を除き、当選回数15回を数える。相続した自宅は25億円など政界有数の資金力を有する。 経済企画庁長官(第53代)、経済財政政策担当大臣(第2代)、自由民主党政務調査会長、総務大臣(第3代・第4代・第5代)、外務大臣(第137代・第138代)、自由民主党幹事長を経て2008年自由民主党総裁選挙において、第23代自由民主党総裁に選出され、第92代内閣総理大臣に就任した。 第2次安倍内閣で副総理兼財務大臣兼金融担当大臣として入閣した。首相経験者の入閣は幣原喜重郎、宮澤喜一、橋本龍太郎に続き、戦後4人目である。 2021年に同職を退任後は、総裁経験者として初めて自由民主党副総裁に就任。2024年9月からは党最高顧問を務めている。 1976年モントリオールオリンピッククレー射撃(クレー、スキート競技)日本代表(41位)。弟の麻生泰は、学校法人麻生塾や麻生セメントなどを傘下に持つ麻生グループ代表である。また、皇族の寬仁親王妃信子は実妹にあたる。