
ルキウス・コルネリウス・スッラ(Sulla)
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ルキウス・コルネリウス・スッラ・フェリクス(ラテン語: Lucius Cornelius Sulla Felix、 紀元前138年 - 紀元前78年)は、共和政ローマ後期の政務官。ガイウス・マリウス、ルキウス・コルネリウス・キンナとの内乱に勝利した後、ガイウス・セルウィリウス・ゲミヌス以来120年ぶりとなる独裁官(ディクタトル)に就任した。旧来はスッラをオプティマテス(閥族派)の指導者、マリウスらをポプラレス(民衆派)の指導者とする解釈がなされていたが、現在ではそのような単純な二極構造ではなかったとも考えられている。 生涯 生い立ち 出自 紀元前138年に最古のパトリキ(貴族)の1つであるコルネリウス氏族のスッラ家に生まれた。恐らく王政ローマ時代に設立されたとも考えられている最古の農村トリブスの一つが、コルネリウス氏族の名を冠している(コルネリア区)。 スッラのコグノーメン(第三名、家族名)を最初に名乗ったのは紀元前250年のフラメン・ディアリス(ユーピテル神官)プブリウス・コルネリウス・スッラで、その父がプブリウス・コルネリウス・ルフィヌス(紀元前290年執政官)と思われる。コルネリウス氏族はローマでも有数のパトリキではあったが、プルタルコスによれば、ルフィヌスが、贅沢品を所持していたとして元老院から追放されて以降、スッラ家が何をしていたかはっきりせず、経済的にも裕福な方ではなかったという。実際、ルフィヌス以降にプラエトル(法務官)は何人か出ているものの、スッラ家から執政官は出ていない。 スッラがまだ幼い頃、見ず知らずの女性に「あなたとあなたの国にとって幸福の子」 (Puer tibi et reipublicae tuae felix) と呼びかけられ、次の瞬間女性はいなくなったというエピソードが残っている。ただし、フェリクスのアグノーメン(第四名、愛称)を得るのは後年である。 青年期 青年期のスッラは平民向けの賃貸住宅であるインスラで過ごしていた。一種の没落貴族という立場は後年までスッラについての噂や評伝に付いて回った。顔は白と赤の粗い斑点で覆われていた。灰色の瞳は鋭く輝き、肌の特徴と相まって周囲に威圧感を与えたと伝えられている。顔の特徴から、アテネの道化者はこう言ったという。「食卓に撒かれたクワ」。 青年期のスッラは自堕落な生活を送り、酒色に溺れては酒場で道化師や役者などと冗談を言い合いながら暮らしていた。スッラは独裁官時代でもそんな生活だった。晩年にはメトロビウスというギリシャ人の男娼を妾にしている。 スッラ自身は肌の事を除けば優美な風貌の青年であり、ニコポリスという女性の愛人となって彼女の相続人となり、継母にも愛されて遺産を受け継いで資産を持った。