
スバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose)
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スバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose、ベンガル文字:সুভাষচন্দ্র বসু 発音、1897年1月23日 - 1945年8月18日)は、インドの独立運動家、インド国民会議派議長(1938 - 1939年)、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。ネータージー(指導者、नेताजी, Netāji。ネタージ、ネタジ とも)の敬称で呼ばれる。 民族的出自はベンガル人。ベンガル語の発音は、シュバーシュ・チョンドロ・ボーシューが近い。 生涯 生い立ち 1897年にインド(当時はイギリス領インド帝国)のベンガル州カタック(現在のオリッサ州)に生まれた。父親は弁護士で、イギリス人により過酷な扱いを受けていたインド人の人権を擁護することもしばしばであった。ボースはこの父親から大きな影響を受けたと後に語っている。 その後カルカッタ大学に進んだ。大学ではイギリス人教師の人種差別的な態度がインド人学生の反感を買い、学生ストライキが勃発した。ボースは首謀者と見られ、停学処分を受けた。 カルカッタ大学で学士号を取得し、1919年に、両親の希望でイギリスのケンブリッジ大学フィッツウィリアム・カレッジに大学院留学した。大学院では近代ヨーロッパの国際関係における軍事力の役割について研究し、クレメンス・フォン・メッテルニヒの妥協無き理想主義に感銘を受けたと回想している。 独立運動家 1920年にはインド高等文官試験を受験した。ボース自身の回想では試験には合格したものの、このままではイギリス植民地支配の傀儡となるだけだと判断して資格を返上した。ただし、二次試験の乗馬試験で不合格となったという異説も存在する。いずれにせよこの頃からボースはインド独立運動に参加するようになっていった。 1921年にマハトマ・ガンディー指導の反英非協力運動に身を投じた。ボース自身は「ガンディーの武力によらぬ反英不服従運動は、世界各国が非武装の政策を心底から受け入れない限り、高遠な哲学ではあるが、現実の国際政治の舞台では通用しない。イギリスが武力で支配している以上、インド独立は武力によってのみ達成される」という信念を抱いており、ガンディーの非暴力主義には強く反対していた。 ボースは、この頃イタリアで台頭して、イギリスのウィンストン・チャーチルをはじめ世界中で喝采と注目を浴びていたファシズムに魅了され、1926年には「ファシズムと共産主義の新たな総合をインドは実現する」べきであると主張した。そのためイギリス当局は彼を明白なファシストと見なしていた。ボースは、議会内で反ファシストから圧力を受けると自身の見解を穏健化させ、ファシズムではなくトルコのケマル・アタテュルクによる権威主義に関心を向けるようになった。