
オーロビンド・ゴーシュ(Aurobindo Ghosh)
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オーロビンド・ゴーシュ(英語: Sri Aurobindo、出生名:英語: Aurobindo Ghose、1872年8月15日 - 1950年12月5日)は、インドの民族主義者・ヨーガ指導者・予言者・哲学者・詩人。インド独立運動では急進的な立場から活動し、1908年にアリポール爆弾事件をめぐって投獄されたのち、釈放されて1910年にフランス領ポンディシェリへ移り、以後は霊性思想と実践に専念した。 ポンディシェリでは、インテグラル・ヨーガを体系化し、1926年に形成された共同体(シュリー・オーロビンド・アシュラム)では、協働者のミラ・アルファッサ(マザー)が求道者の指導を担った。 多くの霊的な詩を含む文学作品をはじめ、古代インドの聖典の広範囲な解説と翻訳を含むインドの文化について、社会的・政治的発展に関して、彼の霊性哲学と実践に関して、数多くの著作を英文で残した。 来歴 誕生から政治運動家として名を馳せるまで オーロビンド・ゴーシュは、1872年8月15日にコルカタで生まれた。彼の父は、K. D.ゴース博士であり、母はスワナラータ・デービーといった。イギリスに在住し、アバディーン大学で学んだゴース博士は、彼の子供たちにヨーロッパ式の躾を完璧に施し、ダージリンのロレト・コンヴェント・スクールに通わせることを固く決心していた。7歳の頃、オーロビンドは2人の兄、マンモハンとベノイブサンとともにイングランドに連れて行かれる。彼らはマンチェスターの聖職者、ドレウェットとその妻の元に預けられた。ドレウェット夫妻はオーロビンドに個別教育を施した。彼自身有能な学者であった聖職者のドレウェットは、ロンドンのセント・ポール・スクールへの入学を果たしたオーロビンドに、ラテン語の基礎を非常に上手く教えた。セント・ポール・スクールではギリシア語を習得し、ラテン語を得意とした。3年次は文学、とりわけイギリスの詩の熟読に時間を費やした。セント・ポールでは、彼は文学のバターワース賞、歴史学のベッドフォード賞とキングズカレッジ(ケンブリッジ大学)の奨学金を授与された。彼は、1893年にインドに帰国する。 1905年から1912年までのベンガルの最初の一区切りの間、彼は、過激派として知られるインドのナショナリストのグループのリーダーに就任した。そのグループは、明確にインドの独立を主張し、その目的達成のためには暴力を行使することも厭わない急進的な主義・思想を標榜しており、それは、当時のより穏健なナショナリストらが標榜を避けるところであった。彼は、反体制の革命の一団であるジャガンター党の創設者の1人であった。 彼は、ナショナリズム系のベンガルの新聞 "Vande Mataram" の編集者であったため、イギリスの支配との頻繁な対立に入った。