
シェイク・ハシナ(Sheikh Hasina)
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シェイク・ハシナ・ワゼド(ベンガル語: শেখ হাসিনা ওয়াজেদ、1947年9月28日 -)は、バングラデシュの政治家。同国首相を延べ20年以上にわたって務め、国防大臣も兼任した。バングラデシュの二大政党の一つ、アワミ連盟の党首。2024年8月、退陣要求デモ激化の結果、辞任して隣国インドへ脱出した。 日本のメディアでは現在は シェイク・ハシナ の表記が一般的だが、シェイフ・ハシナ と表記される場合もあるほか、かつては ハシナ・ワゼド とする記述もよく見られた。 人物 同国南西部のダッカ管区ゴパルガンジュ県トゥンギパラ出身。 信仰する宗教はイスラム教スンナ派。 首相在職中は経済成長を果たす一方、ハシナによる強権化が進んだという評価もある。 ハシナは女性として、世界で最も長く務めた政府の長であった。 経歴 前半生 かつて東パキスタンだったバングラデシュのパキスタンからの独立を果たし、国父とされるムジブル・ラフマンの長女として誕生。政治活動に多忙なラフマンは育児には手をつけることはなく、幼少期のハシナは母と祖母に育てられた。父は幾度もパキスタン政府によって、刑務所に拘留されていた。ハシナは父と過ごした時間はないと語っている。 1975年に軍事クーデターで父と家族のほとんどが暗殺されたが、彼女は既にダッカ大学の学生リーダーとして著名であったものの、当時西ドイツにいて彼女と妹だけが生き残った。ハシナはジアウル・ラフマン大統領によってバングラデシュへの入国を禁じられて以降、インドで亡命生活を送ったが、1981年に帰国を果たし、アワミ連盟の党首となった。その後、1983年にフセイン・モハンマド・エルシャドがクーデターで政権を握り大統領となると、ハシナは父の設立したアワミ連盟の指導者となり、政権に対する反対運動を組織化し、じきに全国的に有名となった。このため再三軟禁されることとなった。 首相への就任 エルシャド大統領の軍事独裁政権が倒れたのち1991年の選挙ではライバル、カレダ・ジア率いるバングラデシュ民族主義党に敗れたが、続く1996年の議会選挙には勝利し、首相に就任した。前首相のカレダ・ジアは選挙結果への不満を露わにし、投票の不正を非難した。ジアの反応は、選挙が自由で公正であると言った世論とは対照的だった。1997年に首相として来日した際には、早稲田大学から名誉博士を贈られ、記念講演をおこなった。同年にはベンガル湾多分野技術経済協力イニシアチブへの加盟を果たしている。