
セルゲイ・ラブロフ(Sergey Lavrov)
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セルゲイ・ヴィクトロヴィチ・ラブロフ(ロシア語: Серге́й Ви́кторович Лавро́в、ラテン文字表記の例:Sergey Viktorovich Lavrov、1950年3月21日 - )は、ロシア連邦の政治家、外交官。2004年3月より外務大臣を務めている。他国の間では、強硬な外交姿勢を取ることで知られている。 来歴 1950年3月21日にソビエト連邦のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のモスクワに誕生する。1972年にモスクワ国際関係大学を卒業した後、ソビエト連邦外務省に入省する。同年に駐スリランカ大使館に勤務を命ぜられ、1976年に本省に戻って国際経済機関局、1981年にソビエト連邦国際連合代表部に勤務し、一等書記官となる。1988年に国際経済関係局副局長、1990年に国際機関・グローバル問題局長を歴任した。 1991年8月のクーデター後も外務省に籍を置き、1992年4月から1994年1月まで外務次官を務める。同年7月7日に国際連合大使に就任する。 2004年3月9日に安全保障会議書記に転出したイーゴリ・イワノフの後任として外務大臣に就任する。一貫して職業外交官の道を歩んできた点で前任者と共通のキャリアを持つが、そのイワノフがプリマコフの「ユーラシア構想」の後継者としてロシア連邦の国益の主張を強く打ち出す一方で、旧エリツィン・ファミリーとの関係も維持していた政治的な人物であったのに対して、ラブロフは政治色が弱く、ロシアの外交は当時のプーチン大統領の主導が一層強化されると観測された。 2020年1月に発足したミハイル・ミシュスティン内閣でも留任し、5代の内閣に渡って外務大臣を務めている。 ギャラリー 外交姿勢 日本 2007年6月2日に外務大臣として初めて北方領土を視察した。北方領土問題で日本に対して敵国条項を度々援用し、「我々は(日本に)クリル諸島(北方領土)を渡さない。平和条約(締結)を日本側にねだる事もしない」などと常々発言している。 2022年9月28日には、第二次世界大戦時の大日本帝国軍をめぐり「日本の軍国主義の犯罪は時効がないものであり、忘れてはならない」と表明し、自らが現在進行形の戦争犯罪の当事者であることを棚に上げた発言ということもあり、批判を浴びた。 なお、2022年3月1日、ウクライナ侵攻に伴う制裁の一環で日本国政府より資産凍結の対象者に指定されている。 アメリカ合衆国 2014年2月のクリミア危機以降、アメリカを強く牽制する姿勢を見せている。
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