
サルバドール・ダリ(Salvador Dalí)
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サルバドール・ダリ(Salvador Dalí カタルーニャ語: [səɫβəˈðo dəˈɫi] スペイン語: [salβaˈðoɾ ðaˈli]、初代ダリ・デ・プブル侯爵 Marqués de Dalí de Púbol(es)、1904年5月11日 - 1989年1月23日)は、スペイン・フィゲーラス出身の画家である。シュルレアリスムの代表的作家として知られる。フルネームはカタルーニャ語でサルバドー・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネク(Salvador Domènec Felip Jacint Dalí i Domènech)。スペイン語ではサルバドール・ドミンゴ・フェリペ・ハスィント・ダリ・ドメネク(Salvador Domingo Felipe Jacinto Dalí Doménech)となるが、1977年以後はスペイン語とカタルーニャ語を混ぜたものを利用し始めた。妻は詩人ポール・エリュアールの元妻、ガラ・エリュアール=ダリ。 シュルレアリスム絵画を代表する存在の一人。風変わりな言動もあり一般にも広く知られた。代表作は茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)や記憶の固執(柔らかい時計)など。 自らが偏執狂的批判的方法と名付けた方法を用い、積極的に想像力に働きかけることで、個人の心のもっとも奥底に眠っているイメージを蘇らせることを試みた。これは”受動的に"無意識の神秘を探ろうとした初期のシュルリアリストと対照的な方法であった。 生涯 ダリは1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲーラスで、裕福な公証人サルバドール・ダリ・イ・クシ(Salvador Dalí i Cusí)(1872〜1950)の息子として生まれた。母親フェリパ(旧姓ドメネク・フェレス)(1874〜1921)も富裕な商家出身で、一族は自らをユダヤ系の血筋と信じている。ダリには幼くして亡くなった兄がいて、同じ「サルバドール」という名が付けられていた。これは少年ダリに大きな心理的影響を与えた。 少年時代から絵画に興味を持ち、パブロ・ピカソの友人であった画家のラモン・ピショット(en:Ramon Pichot)から才能を認められた。1922年、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学し、フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(詩人)、ルイス・ブニュエル(映画監督)と知り合った。ブニュエルとは、1928年にシュルレアリスムの代表的映画『アンダルシアの犬』を共同制作した。 ダリは教授を批判し学生の反乱を指導したとして、1923年にアカデミーから処分を受けた。 1925年、マドリードのダルマウ画廊で最初の個展を開いた。