StarFeed
ガイウス・サッルスティウス・クリスプス

ガイウス・サッルスティウス・クリスプス(Sallust)

日別に見る

この人は?

ガイウス・サッルスティウス・クリスプス(ラテン語: Gaius Sallustius Crispus, 紀元前86年 - 紀元前35年)は、紀元前1世紀の共和政ローマの政務官。引退後は叙述に専念し歴史家としても知られ、タキトゥスに高く評価された。 経歴 イタリアのサビニ人の町アミテルヌム (Amiternum) (現ラクイラ近郊)で生まれ、その地方の有力者の家系であったと考えられている。アミテルヌムは同盟市戦争に加わり、ガイウス・マリウス派についたため、その後のルキウス・コルネリウス・スッラ時代に処罰の対象とされた可能性があり、幼少期に受けた戦乱の衝撃がその後の著作にも強く影響している可能性がある。留学経験はないものの、ギリシア文学についても博識であり、かなり高度な教育を受けていたと考えられる。 恐らく紀元前55年より前にローマへ来ており、前55年にクァエストル(財務官)、紀元前52年には護民官に就任、かなり手段を選ばない活動を行ったとみられ、紀元前50年にはケンソルの譴責を受け元老院を除名されている。護民官時代は、プブリウス・クロディウス・プルケルとオプティマテス側のティトゥス・アンニウス・ミロが激しく対立し、ミロと彼を弁護したマルクス・トゥッリウス・キケロを攻撃した護民官の一人と考えられている。元老院からの除名は、この騒動に関わったことや、その前にミロの妻との不倫をささやかれたことが原因であったとも考えられており、更に進めてガイウス・ユリウス・カエサル寄りであった彼に対するグナエウス・ポンペイウス派の報復人事ではないかとする説もある。 紀元前49年からのローマ内戦では、カエサルを助けて戦った。彼がいつ頃からカエサル派に立ったのか、研究者の間でも意見が分かれている。指揮官としてはいまいちであったが、アフリカ戦役でケルキナ島を占領し、その地の食糧を軍に供給した。タプススの戦いも目撃している。 カエサルの後押しで2度目の財務官からプラエトル(法務官)となり、アフリカ・ノウァ属州総督となったが、任期終了後、不法所得で告訴され、カエサルの力添えで無罪となった。カエサルが暗殺されると、政治から引退した。引退後はピンキウス丘の私邸に引きこもって贅沢を楽しみ、歴史叙述に専念した。この私邸の庭園は、観光名所となっている(サッルスティウス庭園)。 著作活動 主著『歴史』は引退後の著作で、ラテン語で書かれた大著であったが、大部分が失われた。スッラの死後から自身の時代までを描いたものと推測されている。第1巻(紀元前78年-77年)、第2巻(紀元前76年-75年)、第3巻(紀元前74年-72年)、第4巻(紀元前72年-68年)、第5巻(紀元前68年-67年)が計画されていたという。

最近あったこと

まだ新着なし — 数分ごとに確認します。