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ロベルト・リベリーノ

ロベルト・リベリーノ(Rivellino)

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ロベルト・リベリーノ(Roberto Rivelino, 1946年1月1日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身の元サッカー選手、指導者。元ブラジル代表。現役時のポジションはフォワードとミッドフィールダー。ニックネームはリーバ(ヒーヴァ)。ホベルト・ヒヴェリーノとも表記される。 1978年のワールドカップメンバーに共に名を連ねたゼ・セルジオは甥にあたる。イタリア・モリーゼ州イゼルニア県マッキアゴーデナにルーツを持つイタリア系ブラジル人である。 利き足である左足から巧みなフェイント、正確なパスや強烈なシュートを放ち、またフリーキックの名手でもあることからボンバー、左足の魔術師と呼ばれた。ディエゴ・マラドーナ、三浦知良が幼少の頃憧れを抱いていた選手として著名。 経歴 選手 1962年にコリンチャンスに加入。1965年にトップチームの公式戦にデビュー。同年、19歳でブラジル代表に初選出されハンガリー戦に出場した。 1970年のメキシコワールドカップでは、左ウイングのレギュラーとして、グループステージ初戦で1ゴール、準々決勝のペルー戦では1ゴール2アシスト、準決勝のウルグアイ戦でも1ゴール、決勝のイタリア戦では1アシストと3ゴール3アシストの活躍で、優勝に貢献した。ペレ、トスタン、ジャイルジーニョ、ジェルソン、クロドアウドらを擁したブラジルは、6戦全勝と強さを見せつけ、史上最強のブラジル代表といわれた。 ペレの引退後のブラジル代表ではジェルソンの背番号8をつけトップ下の位置で1974年から背番号10をつけ、ペレの後継者として活躍した。 1974年のワールドカップでは、2次リーグの3試合で2ゴールを挙げるなど、合計3ゴールを挙げた。東ドイツ戦では、相手選手の作った壁の間にはいったジャイルジーニョがリベリーノがボールを蹴る直前にしゃがみ込み、そのわずかなすき間を通過させるという、トリッキーなゴールを決めた[2]。(全く同じゴールは1970ワールドカップでもペレ(ルーマニア戦)、リベリーノ(チェコスロバキア戦)で決めているが、映像が無名の為ほとんどの人から認知されていない) また、準決勝ではオランダ代表のチーム戦術の「ボール狩り」で顔面パンチと肘打ちの洗礼を受けた。 1978年のワールドカップでは、戦前はリベリーノの大会と言われていた。初戦のスウェーデン戦ではフル出場するも、足の負傷で3試合の出場にとどまった。 リベリーノはワールドカップに3度出場、15試合6得点。代表公式戦には通算122試合出場、43得点をあげた。 晩年はサウジアラビアのアル・ヒラルでプレーし1982年に引退。

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