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ラモン・ディアス

ラモン・ディアス(Ramón Díaz)

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ラモン・アンヘル・ディアス(Ramón Ángel Díaz, スペイン語発音: [raˈmon ˈaŋxel ˈdi.as]、1959年8月29日 - )は、アルゼンチン・ラ・リオハ州ラ・リオハ出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。元アルゼンチン代表。 選手時代経歴 初期経歴 父親はCAリーベル・プレートのファンで、リーベルのストライカーアンヘル・ラブルナにちなんで、アンヘルと名付けられた。リーベルのユースを経て、1978年にトップに昇格、8月13日のCAコロン戦でデビュー。1週間後のキルメスAC戦で初ゴールを挙げた。1979年に初めてリーグ優勝を経験した。リーベルでの4年間で、202試合で61得点を挙げた。 1979年、U-20アルゼンチン代表の一員として出場したワールドユース選手権では、アルジェリア戦でハットトリック、準決勝のウルグアイ戦で1ゴール、決勝でも1ゴールを挙げ、大会得点王に輝いた。最優秀選手に選ばれたディエゴ・マラドーナと共にチームを優勝に導く立役者となる。この活躍が認められ、翌1979年9月12日の西ドイツ戦でフル代表デビューを果たし、1980年12月16日スイス戦でフル代表初ゴールを決めた。 1982年にはスペインで行われたワールドカップにも出場、ブラジル戦ではゴールを記録。しかし、マラドーナの退場などによりこの試合に敗れ、チームは2次リーグで姿を消すこととなった。その後も、ヨーロッパの舞台で高いレベルのプレーを続けていたが、これがディアスの最後の代表戦となった。代表の決定力不足が指摘され、ディアスの復帰要望が国民から出たこともあったが、結局復帰することはなかった。当時のアルゼンチン代表は、マラドーナを中心としたチームづくりを行っていたため、確執のあったディアスが外されたという説も根強いが、マラドーナは著書でそのことを否定、逆に1986年大会、1990年大会のメンバーに呼ぶべきだと代表監督に主張したとしている。1990年のワールドカップメンバーに入れるか、カルロス・ビラルド監督が真剣に検討していたともされる。

経歴

  1. 1959
    Born
  2. 1978
    Joined Club Atlético River Plate
  3. 1979
    Joined Argentina men's national association football team
  4. 1979
    Joined Argentina national under-20 football team
  5. 1982
    Joined SSC Napoli
  6. 1983
    Joined U.S. Avellino 1912
  7. 1986
    Joined ACF Fiorentina
  8. 1988
    Joined Inter Milan
  9. 1989
    Joined AS Monaco FC
  10. 1991
    Joined Club Atlético River Plate
  11. 1993
    Joined Yokohama F. Marinos

豆知識

  • Place of birth: La Rioja
  • Citizenship: Argentina
  • Known as: association football player, association football coach
  • Sport: association football

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