
ライナー・ボンホフ(Rainer Bonhof)
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ライナー・ボンホフ(Rainer Bonhof, 1952年3月29日 - )は、ドイツのサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィルダー(守備的ミッドフィールダー)およびディフェンダー。2009年からボルシア・メンヒェングラートバッハの副会長を務めている。 選手経歴 クラブ 1952年、オランダとの国境に近いエメリッヒ・アム・ラインという町でオランダ人の両親との間に生まれた。地元のSuSエメリッヒでサッカーを始め、青年期には自動車販売店に勤務しながら同クラブでプレーを続けていた。 西ドイツユース代表として1969年9月にオランダで開催されたユーストーナメントに出場した際のプレーがヘネス・バイスバイラー監督の目に留まり、1970年1月にボルシア・メンヒェングラートバッハへ入団した。入団当初はフォワードを務め、ブンデスリーガデビュー戦となった同年8月のキッカーズ・オッフェンバッハ戦では初得点を決めたが、一方で未熟な選手と見做されていた。その後、バイスバイラーの下でディフェンダーとしての訓練を受けると共にプレスキッカーとしての専門的な訓練を受けると国際的な選手へと成長し、ベルティ・フォクツやユップ・ハインケスやアラン・シモンセンらと共にブンデスリーガ優勝4回 (1970-71, 1972-73, 1975-76, 1976-77) 、DFBポカール優勝1回(1972-73)、UEFAカップ優勝1回 (1974-75) に貢献した。 1978年7月、ドイツサッカー連盟による国外移籍禁止措置が解禁されたこともあり、170万マルクの移籍金でスペインのバレンシアCFへ移籍し、マリオ・ケンペスらと共にUEFAカップウィナーズカップ 1979-80優勝に貢献した。 バレンシアで2シーズンを過ごした後に西ドイツへと戻り、1980年7月に1.FCケルンへ移籍。1980-81シーズンは自身の怪我やチーム内の内紛もありリーグ戦は8位という結果に終わったが、1981-82シーズンにリヌス・ミケルスが監督に就任すると復調し、バイエルン・ミュンヘンやハンブルガーSVとの優勝争いに加わった。1982-83シーズン最中の1983年1月にヘルタ・ベルリンへ移籍し、同年限りで現役引退をした。 代表 西ドイツユース代表の招集を受け1969年9月にオランダで開催されたユーストーナメントに出場した。この大会の時点ではオランダ国籍を有していたが、1970年3月にドイツ国籍を取得して帰化した。 西ドイツ代表としては1972年5月26日に行われたソビエト連邦代表戦でデビュー。同年6月にベルギーで行われたUEFA欧州選手権1972の代表メンバーに選出されたが、出場機会はなかった。