
ラドヴァン・カラジッチ(Radovan Karadžić)
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ラドヴァン・カラジッチ(Radovan Karadžić, セルビア語キリル文字: Радован Караџић, 1945年6月19日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナの政治家、詩人、精神科医。ユーゴスラヴィアからボスニア・ヘルツェゴビナが独立したことに反発する同国内のセルビア人がスルプスカ共和国の独立を宣言したことにともない、その大統領となった。これによってボスニア・ヘルツェゴビナはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に突入した。 紛争終結後、カラジッチは独立戦犯として旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(以下ICTY)から指名手配された。カラジッチは逃亡して潜伏していたが2008年に拘束されて国連戦争犯罪法廷の裁判にかけられ、終身刑を言い渡されて服役することとなった。 初期 ユーゴスラビアのモンテネグロ、シャヴニク(Šavnik)の近くの村で、セルビア系の家庭に生まれた。父は、ユーゴスラビア王国の軍の残存勢力で構成されていたチェトニクのメンバーであり、息子の子供時代のほとんどを刑務所で過ごした。 1960年にサラエヴォに移り、サラエヴォ大学医学部で精神医学の勉強を始めた。1974年から1975年の間はニューヨークのコロンビア大学で訓練を受けている。帰国してからはコシェヴォ病院で精神科医として働いたが、刑事裁判を有利にするために心神喪失であるとウソの診断を下したとして有罪判決を受けたこともある。 詩人でもあり、子供向けの詩集を執筆した。セルビア人作家ドブリツァ・チョーシチ (Dobrica Ćosić) の勧めもあって政治にも関わるようになる。一部のセルビア人は戦争の英雄とみている。 政治家として 1989年、カラジッチはボスニア・ヘルツェゴビナにて、セルビア民主党(Serbian Democratic Party)の設立メンバーの一人となった。この政党の目的はユーゴスラビア共和国内のセルビア人をまとめ、セルビア共和国に加わるというものであった。 1991年10月24日にはボスニア・ヘルツェゴビナにて、セルビア人のみで構成されるボスニア・セルビア議会が設立された。カラジッチ率いるセルビア系の最大政党は、ボスニア内にセルビア人自治区("Serb autonomous provinces", SAOs)と、それを代表する議会も組織した。1991年11月、セルビア人は住民投票を行い、圧倒的多数の票がユーゴスラビアへの残留を求めるものであった。