
ラウル・ゴンサレス(Raúl González)
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ラウル・ゴンサレス・ブランコ(Raúl González Blanco、1977年6月27日 - )は、スペイン・マドリード州マドリード出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。元スペイン代表。 概要 レアル・マドリードの歴代最多出場、2015年にクリスティアーノ・ロナウドに更新されるまでクラブ最多得点 の記録保持者であり、レアル・マドリードの象徴的存在の選手。欧州カップ戦における通算得点記録保持者でもある。その他スペイン代表でも102試合に出場して44得点を挙げ、当時の歴代最多得点記録も持っていた。2002 FIFAワールドカップ後から最後の代表招集まで主将を務めた。その知名度の高さから2016年オリンピックのマドリード招聘のためにコペンハーゲンにて最終プレゼンを任された。2015年よりLFPのアンバサダー(親善大使)を務め、また、FAOの大使としての活動も行なっていた。 レアル・マドリード、シャルケ04、アル・サッド、スペイン代表とキャリアのほとんどで背番号7番を背負ってきた。マンチェスター・ユナイテッドで背番号7番を付けていたデビッド・ベッカムやクリスティアーノ・ロナウドも、レアル・マドリードではラウルが7番を付けていることから別の番号を背負ってプレーした。 クラブ来歴 生い立ち スペインの首都マドリードに生まれる。父親ペドロはエンジニアで職場がアトレティコ・マドリードの本拠地の近所だったため、ラウルは幼少の頃から身近にサッカーがあったという。10歳でカランサスという学校のクラブチームに入る。ずば抜けたゴール感覚は当時から際立っていたという。当時アトレティコのユースを指揮していたフランシスコ・デ・パウラが入団を申し出に訪問。父親ペドロがアトレティコのファンであったことからも、すぐさま承諾し、アトレティコ下部組織の一員となる が同クラブのユース経営終了に伴い放出される。 レアル・マドリード 1992年にレアル・マドリードのユースに移籍。その2年後、当時監督をしていたバルダーノによってトップチームに昇格し、1994年10月のサラゴサ戦でクラブ最年少記録の17歳と4ヶ月でトップチーム・デビュー。しかし、その試合ではあまり活躍できず、さらにはチームも負けてしまい、ラウルとバルダーノは批判を浴びた。しかし翌週の第10節、アトレティコ・マドリード戦に先発出場し、ミチェルとサモラーノのゴールをアシスト、37分にはラウドルップのアシストからプロ入り初得点を決める活躍を見せ、チームの中心人物であったブトラゲーニョからポジションを奪い、初年度はリーグ戦では28試合で9ゴールを決め、自身初のリーグ制覇に貢献した。