
ラウル・カストロ(Raúl Castro)
ラウール・カストロ
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ラウル・モデスト・カストロ・ルス(スペイン語: Raúl Modesto Castro Ruz, 1931年6月3日 - )は、キューバの政治家、軍人、革命家。兄のフィデル・カストロとともにキューバ革命を指導した。2011年4月19日、フィデルの退任に伴い、キューバ共産党中央委員会第一書記(最高指導者)に就任。 革命後は、同国の最高指導者となったフィデルの後継者として、革命軍事相(国防相)、キューバ共和国国家評議会第一副議長、閣僚評議会第一副議長、キューバ共産党中央委員会第二書記などを歴任したのち、2008年2月24日、フィデルの退任に伴い、国家評議会議長(国家元首)兼閣僚評議会議長(首相)に就任。2018年4月19日に両職から退任し、国家評議会、閣僚評議会のミゲル・ディアス=カネル第一副議長に譲り、2021年4月には共産党第一書記の座もディアス=カネルに譲り第一線を退いた。 来歴 生い立ち ビランにて、ガリシア人移民の父アンヘル・カストロ・イ・アルギスと、ガリシア人を祖先に持つキューバ人の母リナ・ルスとの間に、男兄弟3人の末子として生まれる。フィデルとラウルには、兄弟のほかに4人の女姉妹(その内の1人にフアニータ・カストロがいる)、そして片方の親が違う兄弟が2人いる。 幼少期は兄フィデルと共にハバナの私立小学校コレヒオ・ベレンなどのイエズス会学校で教育を受け、ハバナ大学では社会科学を専攻した。成績優秀だったフィデルに比べ、ラウルは平凡な学生だったという。 革命以前から社会主義政党であるキューバ人民党に入党するなど、兄のフィデルよりも当初から共産主義に傾倒していたとされ、学生時代にはフィデルと共に積極的に学生運動に参加していた。また、1953年には、ヨーロッパを旅行中に、KGBのニコライ・レオノフと接触している。 キューバ革命 1953年、7月26日運動のメンバーとしてモンカダ兵営襲撃に参加し、逮捕・投獄され、1955年に恩赦で釈放された。釈放後はフィデルと共にメキシコに亡命し、1956年12月にグランマ号に乗り込み再びキューバに戻ったが、上陸後すぐにキューバ空軍に発見されマエストラ山脈に逃げ込み、ゲリラ戦を展開した。 1958年2月27日、ラウルはフィデル、フアン・アルメイダと共に東部方面の指揮を執り、チェ・ゲバラ、カミロ・シエンフェゴスは西部方面の指揮を執りハバナを目指すことになった。6月26日には、オリエンテ州で10人のアメリカ人と2人のカナダ人を拉致し、27日にはアメリカ海軍兵士24人を人質にした。ラウルはキューバ空軍の空爆を停止させることに成功し人質を解放したが、これに反発したアメリカ合衆国はバティスタ政権への軍事支援を強化した。
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